悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

新聞からの抜き書きみたいなもの

2012-04-26 23:25:00 | 雑記

ぼくには「常識」がない?と、作家の高橋源一郎が書いている。
常識、に括弧が付いているから、いや、世間の「常識」のほうがおかしいよ!
と言っているのだろう。

入学式の歌を巡る異様な風景は、
けっして子どもたちのための歌ではないことを物語っている。
大人の、あるいは大人につながる役所のための儀式だからこそ、
あんなに騒いでいるのだろう。

世界の常識と日本の常識。知らされていないことがたくさんあるようだ。

国連は、「厳しい競争環境が子どもたちをイジメや精神障害といった、
不幸な状態に陥らせている」と日本に勧告したそうだ。
氏の、この一文くらいでは、勧告はいずれ忘れ去られるだろう。

北朝鮮の「ミサイル」発射についても、海外のメディアは「ロケット」と呼んでいる。
日本では大騒ぎしているけれど、その「ミサイル」よりも、
アメリカ軍が持ち込んでいるかもしれない核兵器や、
福島第一原発4号機の燃料プールの方がずっと怖いと思っちゃうのは、
ぼくに「常識」がないからなんだろうか。と結んでいる。

昨日の花桃実行委員会、あまりにも少ない出席者。出される意見は、いつも同じ。
30㎞コースの新設。会場を総合公園に。主にこの2つだ。
三分の二の実行委員は、あきれているのだろうか。いつも代わり映えしないから、
出席しても意味がないと思って欠席したのかもしれない。
このままでは、旧態依然の大会を延々と続けるしかない。
多くの実行委員が、参加者を増やしたい、大会を魅力的なものにしたいという方向に、
意識を変えるためには、やはり我々ウォーキングクラブが、
本気になって変えていかないと変わりようがないだろう。

席上、「飯能新緑ツーデーマーチ」に誘ってみたが、まったく反応がなかった。

参加者へのアンケートは、ほとんど回収されなかった。
積極的に回収しようという姿勢がなかったから、回収箱は、隅の方におかれていた。
アンケートを書く場所もなかったから、少なくても当然かもしれない。
今回、回答してくれた参加者は、ゴールまでのどこかで書いてくれたのだろう。
また、私たちも、箱を持ってでも回収しようとはしなかった。
実行員会ではこのことには触れなかった。
少しだけ集まった回答に、大会を評価する意見が多かったことだけは、救いだった。

私たちの取り組みも、徹底を欠いていたと思う。
私たちはこう協力するから、こうしてくれと、具体的な提案を出していかなければ、
何のための地元のウォーキングクラブだと言われるだろう。

来年こそ!と思うのだが…