悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

昔の夢

2012-04-20 22:41:39 | 雑記

勤め先の先輩と退職後の話をしたことがある。
喫茶店と本屋を一つの店舗でやるという話。私が喫茶店、先輩が本屋だ。
その内職場が変わったり、いろいろと事情も変わり、話は自然消滅となった。
私の喫茶店の話は、現実味のある話ではなく、
ただコーヒーを飲むのが好きなおじさんで終わりそうだ。

コーヒー豆は、市内のからきやで買っている。
比較的新しい豆を買えるので、重宝している。
以前、大阪の店に注文したことがある。
WEBで注文すると、焙煎し、すぐに送ってくれる。
新しいので、湯を差すとぷくっとふくれ、美味しかった。
ただ、高いのが玉にきず。間もなく止めてしまった。

一昨日、日赤に行ったとき、職場の仲間で、退職後喫茶店を始めた人にあった。
注文を受け、豆を焙煎し届けているという。まだその店に飲みに行っていない。
近々店に行って、よかったらそこで豆を買おうかと思っている。

勤めていた頃、退職後の仕事を考えたことがある。
最初が喫茶店。次に社会保険労務士、弁護士、精神保健福祉士など。
いずれも本を買い、勉強に取りかかったが、すぐに止めてしまった。
どれか一つ、本気でやれば良かったと思っている。


使いこなせない機器類

2012-04-19 22:29:40 | 雑記

最初に浮かんだ言葉は「使いこなせない機器たち」であった。
しかし、私は、擬人語(擬人化)での表現が嫌いなので、言い換えた。
NHKの自然風景番組を見ると、それらの言葉(たち)をうんざりするほど聞かされる。
鳥たちや、熊たちの営みが云々…。
WEBで調べたところ、NHK広島放送局で、外部識者委員の意見として、
擬人化が行き過ぎていると報告されていた。
ここで深入りすると本題に入れない。

昨日、21日例会の再下見をした際、二万五千分の一地形図では、当日歩くコースが、
特定できない。そこで、以前に買って使いこなせないでいたGPSを持っていった。
下記のようにGPSで自分が歩いた軌跡を描いたが、風船みたいなものが線上に現れ、
コースの軌跡がはっきりと読み取れない。
この風船を消す方法がわからない。
拡大して見ると、等高線上に歩いたコースを書き込むことができそうなので、
何とかコース図を作れそうだが、その他の多くの機能は使いこなせないままだ。

他にも使いこなせない機器はたくさんある。
パソコンのソフト類、デジタルカメラや無線機、最低限の機能は使えても、
ほとんどの機能は眠ったままだ。
本なども、十分に読みこなせないと、やはり生かされていないといえる。
心拍数を図ることができる機器も、高機能のものを買ってしまったのに、
ほとんど眠っている。これらも擬人化だろうか。
擬人化の手法は、安易に状況を表現できるので、つい使ってしまうようだ。

パソコン上でコース図を作ることができるソフト「地図太郎」がGPSに付いてきたが、
これなどはまったく使っていない。企業の売り上げに貢献しただけである。


寝ながら学べる構造主義

2012-04-18 22:04:25 | 雑記

本の題名である。どこかの書評で見て読んでみたくなり図書館で借りた。
「構造主義」が簡単に理解できるというが、本気になって読まないと理解できない。
しかし、この手の本は難しすぎて、途中で投げ出すことが多いのであるが、
姿勢を正して読めば、なんとかついていける。(完全には理解できていないが…)
構造主義の基礎を作ったのが、マルクス、フロイト、ニーチェという。
始祖といわれるのがソシュールで、「言葉とはものの名前ではない」と言った人。
言葉の持つ意味は、国によって微妙に違う。意味の幅がまったく同じではない。
言葉を使って世の中を捉え、人と交わるとき、厳密に状況を捉え、理解したい。
そんなときに、構造主義の考え方が役にたつような気がする。
わかりやすく説明できるほどに理解していないが、繰り返し読み込んでみたい。

そういえば、以前ろう者と話しているときに、「名前は何」という手話をされたとき、
ここでどうして「名前は何」と聞かれたのか、意味がわからなかった。
時間をかけてわかったのは、その「言葉」は、どういう「名前」なのか、ということだった。
その「事柄」は手話で何というのか、「手話で何」=「名前」=「名詞」=「言葉」。
という意味だった。
ここでは「ものの名前とは言葉」だった。

<本日の歩行11㎞>~137日目
岩間駅~フラワーヒル花ぞの~館岸山~普賢寺~岩間駅11㎞(9:00~13:40)
※館岸山ハイキング再下見


消滅と復活~ウォーカーに関係のある2つの事件?

2012-04-17 21:38:20 | ウォーキング

地形図から送電線が消えると、前に書いた。これに反対である旨、ブログに書いたり、
地図センターのアンケート自由記載欄に反対の意見を書いた。
その後、各方面から反対する意向が示され、国土地理院は、復活を決めたそうだ。
記事の中で、送電線の位置情報は、新年度に電力各社に再依頼し、
「拒まれても独自に載せる」としているが、珍しい決断だと思う。拍手

二つ目。「ホリデーパス」が消え、代わりに「休日お出かけパス」に。
乗車区間が少し広くなり、価格は300円アップ。
水戸線の下館まで伸びたので、下館ウォーキングクラブの皆さんには朗報。
当会にとっては、小田原まで伸びたことくらいか。
12月に国府津まで行く例会があるが、これが安くなった。
これまでは、平塚往復が2,300円(ホリデーパス)。平塚→国府津が230円。
計2,760円だったが、2,600円で行ける。それでも実質値上げ。
当会の例会における交通費は、ホリデーパスの2,300円を目安にしてきたが、
今後は2,600円としなければならない。



<本日の歩行12.2㎞>~136日目
自宅~前沢内科~ひまわり荘~間々田南飯田~間々田駅…電車…古河駅~
自宅12.6㎞(10:00~13:30)
※間々田駅前のコンビニで弁当を買い、ロータリーのベンチで食べる。
ベンチには営業マン風の人が2人。1人はコンビニに行ったが弁当を買うのだろうか。
私は、歩く格好をしているので違和感はないと思うが、彼らがベンチで食べていると、
少しわびしい気がする。その内の1人は、駅前の食堂を覗いていた人だ。

彼らは、食事代などを経費で落とすのだろうか?
よくラーメン屋で、領収書をもらう人がいる。接待でもどうかとは思うが、
接待ではなさそうな人が「領収書」をもらっている。

帰り、かもじやに寄った。「あらゆる領収書は経費で落とせる」なんていう本があった。
読んでみようか。


再会→(飲酒)開始→(禁酒)再開

2012-04-16 22:36:55 | 雑記

再開とは、何の再開かというと…
高血圧管理手帳は3冊目に入る。2010年6月18日に記録開始。
同年7月27日から中断。以後、断続的に付けていたが、8月18日から中断。
半年後の2011年3月26日再開。
同時に禁酒を開始。血圧測定も毎日記録を継続。
数ヶ月続けてくると、上下ともに10くらい下がる。
今年に入り、1月半ば頃から血圧測定をサボりだす。血圧が安定したことにもよる。

3月24日、花桃ウォーク初日、仲間と再会を祝し、ほぼ1年ぶりに飲酒。
翌日から飲まなかったが、数日してから缶ビールを飲み出す。最初は1本だけ。
最初、断続的だったが、350ccから500ccとなり、この1週間毎日缶ビールとなる。

さすがに危機感を覚え、本日から禁酒を再開することとした。
血圧測定も再開したいと思う。
入浴1時間後であるが、21:00 ①129/93 ②122/79 2回測定した結果。
以前から下が高めだった。

このように大げさにすると、飲めなくなる。その効果を期待してここに書いた。
ごまかすことのできない性格は、このようなときに威力を発揮する。
また飲んでしまうと、ここに書かなければならないので、ブレーキがかかる。
意志の弱さを、融通の利かない性格が補完する。

ぱっとしない2つの性格が、車の両輪のように働き、自制心を目覚めさせる。

<本日の歩行12.0㎞>~135日目
歩くのも、このところさぼり気味だった。歩かなかった日は下記の通り。

=3/23・3/24・3/26・3/27
  4/3・4/6・4/7・4/11・4/12・4/13・4/14~11日間

前にも、2~3日サボった日があるので、5ヶ月間で14日ほど歩かなかった。
健康上の問題はないが、サボったことは気にしていたので、歩行も完全実施したい。

自宅~関戸八幡神社~中央運動公園~日赤~自宅12.0㎞(13:59~15:55)

下図の通り歩いた。これは「マピオン」といって、たいへん便利な地図サイトである。
これは、「キョリ測」の機能を使ったもの。ロードメジャーと同等の精度がある。
右に、距離、歩数(歩幅90㎝とした場合)、歩行時間、時速、などが表示されている。
その画面を、ビスタに付属の「Snipping Tool」で切り取り、画像としたもの。
このツールも非常に便利だ。


かすみがうらウオーキング

2012-04-15 22:25:10 | ウォーキング

予報通り朝から晴れたが、時折冷たい風が吹き、 気温は上がらなかった。 
ウォーカーのために名付けられたような旧出島村の「歩崎公園」からスタートした。
参加者は登録者数390名。当日の参加者数は370名ほど。
水資源機構までの5.5㎞は5班に編制されて団体歩行。昼食と水をもらい休憩。
16㎞地点までは自由歩行となる。先発隊4名が自由歩行開始前にスタートする。
16㎞地点到着前に、かけてきたという小学生が追いつき、大人男女各1名が、
時速7㎞強くらいで追い上げてきた。
今回の歩行には一定のルールがあるので、説明し了解してもらった。
残り3㎞の地点からは、再度団体歩行となる。ゴール会場には2班に分かれてゴールする。
先発隊は13時45分にスタート。14時30分にゴール。
後発隊は14時45分スタート。ゴール会場の都合で、手前で少し待ち、15時36分頃ゴール。
寒くて参加者から不満がでたとのこと。
今回の参加者は、希望に添えない部分が多少あったが、感情的にならずに了解してくれた。
我々スタッフの対応も次第に上手になってきたのかもしれない。ルールがあるが、
押しつけることなく説明し、了解してもらえたと思う。運営方法に多少難点もあったが、
次回への反省材料としたい。
16時頃スタッフの作業終了。帰路につく。行きは1時間30分、帰りは2時間かかった。

<本日の歩行19.0㎞>~134日目
かすみがうら市・歩崎公園~川口運動公園19.0㎞(10:00~14:30)
※「かすみがうらウオーキング」スタッフとして参加。


日記を付ける効用

2012-04-14 19:49:01 | 雑記

日記兼備忘録である。記録を一冊に集約し、すべてを書き込む。
2011年1月13日(木)から記録開始。
本来はすべてを書き込むのが目標だが、なかなか習慣化できない。
それでも、日付、気温、湿度、時間などを毎日書き込む。
最初は、期日だけだったが、4月頃から項目を増やしてきた。
県協会HPのアクセス数や、当ブログの閲覧数、訪問者数も途中から記録している。

今回、県協会の総会に向けて、基本データの照会があった。その報告項目の中に、
「その日の天候」があった。付けていた記録には天候の項目を設定していなかった。
さてっ、というところで気がついた。記録を見ればわかる。
はっきりと天候を記載していない日もあったが、記事を読むと判断できたので、
すべての項目を埋めることができた。日々の記録がこのように役にたつと嬉しい。

他には、体重計が体重の他に体脂肪、内臓脂肪、基礎代謝、なども記録している。
これも2年くらい継続している。

父も丁寧に記録を残していた。あのまねはできないが、継続していきたい。
パソコンへの記録は、複製を別の場所に残しておかないと消滅するおそれがある。
毎年、総会前に1年間の事務局の記録を見直すが、いつも冷や冷やしている。
こんな時は、紙データが安心だが、同じデータを何カ所にも記録するのは面倒だ。
最悪の事態を避けるため、消えては困るデータを決めて、別の場所に保管しよう。
わかっていることだが、まだ完全には実行していない。

ただ、亡くなった人の記録などを見ると、著名人の場合は、冷静に記録として見るが、
肉親の記録(普通の人の)は、いずれ処分される運命であることを考えると、
何かむなしいような気もする。
効用は認めるにしても…

明日は、かすみがうらウォーキング大会本番。朝5時に土浦に向かう。
早く寝なければ。


相対的で仮説に満ちた世界に生きる

2012-04-13 22:41:04 | 言葉

面白い本を読んでいる。
自分の立ち位置(国~所属集団~家族)によって、見える世界が違う。
この、今では当たり前の考え方が、比較的最近の考え方であること。
立場を違えて見てみれば、主張も変わり得る。すべては相対的である。
考え方が違ったり、何となく違和感を持ったり、認められなかったりしても、
立場が違えば当たり前のこと。
だから何でも了解しろということではなく、違って当たり前と、
腹をくくって受け止めてみればよい。
現実には、いずれかの立場に立ち、何らかの方向性を持ち、決定しなければならない。
事がうまく運ばなくても、右往左往することなく、違って当たり前の現状を、
どうしたら変えうるか、相手の視点で見直し、対応策を練り直す。

別な本であるが、物事は99.9%は仮説の世界であるという。今、常識となっていても、
いつの日か、別の視点が常識となる。そういうことの繰り返しで、現在に至っている。

オオカミとヒツジが、生まれてすぐに一緒に育てられたら、どういう関係になるのだろう。
真っ暗闇の世界は、前提を取っ払う。
物理的な暗闇ではなく、思考の前提をひっくり返せば、関係も変わりうる。


飯能新緑ツーデーマーチ

2012-04-12 22:40:20 | 雑記

今日の新聞(朝日)に開催の記事が載った。
飯能市市制50周年を記念して第1回が開催されたのが、2003(平成15)年5月。
飯能市では、1998年から市民の健康作りのためウォーキングに取り組んでいた。
市民の参加が次第に増えていき、埼玉県協会の特別例会も1,000人を超えた。
そこで、飯能市の豊かな自然を生かした大会を開くことになったそうだ。

古河市で開催されている「古河まくらがの里・花桃ウオーク」は、
この3月で13回目を数えた。同じく市制50周年を記念して開催されている。
第1回は、2000年10月に開催されたが、何か目玉になるものをということで、
年度内の3月に花桃をテーマとして第2回が開催され、以後継続している。
当時の市長が、東松山の日本スリーデーマーチに参加した経験があり、
古河市でもウォーキング大会を開催したいと考え、50周年記念に取り上げた。

古河市の大会も、飯能のような素晴らしい大会にしたい。
そのためにはどこから手を付けたらよいのだろうか。
やはり、ウォーキングクラブが先頭に立ってムード作りをすることが必要だろう。
当会の熱意だけでどうにかなる訳ではないが、埼玉のウォーキング熱のようなものが、
古河市でも生まれなければ、追い風にはならない。
当会の活動を推進するにあたって、市民の健康、観光の振興などを活動の基本に据え、
展開していくことも必要だろう。
ただ、歩く楽しさを求めて入会した会員が大半であるので、
理解を広めるための情報提供が必要だ。

まずは、実行委員会にどう働きかけるか、役員会で協議を進めたい。


あらしのよるに から

2012-04-11 22:21:00 | 雑記

小学校の低学年の頃の記憶。ビニールの原料はミミズだと、同級生に吹聴していた。
空き缶にミミズを入れて、火で炙ってみると、ビニールを燃やした後の姿に似ていた。
たまたま壊れた竹刀をもらい、弓を作って遊んだことがある。
矢はたぶんつなぎの釣り竿。先にボルトを縛り付けると良く飛んだ。
矢の先端にカミキリムシを2B弾と一緒に縛り付け、発火させ空に向かって放つ。
父が菊の栽培をしていたので、アブがたくさん寄ってくる。これらを捕まえておき、
瓶に詰め、2B弾を発火させて入れ、蓋をする。

こんな遊びを良くやっていた。

ある時期、シュバイツアーの伝記?を読み、
彼は蚊や虫を殺さないために、網戸を利用していたと書いてあった。
わが家に網戸が設置される以前のかなり昔の話。子どもの頃、網戸はなかった。
いつの頃まで蚊帳を吊っていたのだろう。

その頃から、虫が殺せなくなった。庭を歩くにも、蟻を踏まないように歩いた。
たしか、お釈迦様も一本足の下駄で歩き、不用意に虫を殺さないようにしていたと、
聞いたことがある。

自分が慈悲深いということを言いたいのではなく、この落差は何なんだろうと思う。
罪ほろぼし、だろうか?今は蚊や蠅(少なくなった)を叩くことは抵抗がなくなった。
ゴキブリは大きいので、少し抵抗がある。蝶は今も苦手だ。
小学校の高学年の頃、靴の中に蛾が入っているのを知らずに足を入れてつぶし、
恐怖感で一杯になった経験がある。

雀が手の中で死んだことや、エンゼルフィッシュが水槽から飛び出すと、
拾うのが怖かったことなど。
虫や小動物に恐怖感を持つ思い出が多い。

「あらしのよるに」は、ヒツジ(餌)とオオカミ(ハンター)の物語。
自然界では、当たり前の話。絵本や子どもの世界では、
食うものと食われるものが共存(仲良く)している。
とても感動的な話だが、よく考えると、設定に無理があるような気もする。
オオカミとヒツジが仲良くできるわけがない。
自然界に、ヒツジを食べないオオカミはいるだろうか。いる可能性はある。
しかし、例外中の例外。
あえて、前提を外して関係を作りなおしてみるという試みは、
何を訴えているのだろうか、何か意味があるのだろうか。
感動を覚えるということは、絵本の世界とはいえ、当たり前の関係から、
前提を取っ払い、考え直してみることの必要性を訴えているのだろうか?

肉親を殺されて、仕返しをしたいと思う気持ちには同調できる。
しかし、冷静に、法律をもって、国家の名において、処刑することには、
違和感がある。「私刑」は御法度だから、法で裁くと言うことなのだが…。
むしろ、仕返しのほうが納得できる気がする。
しかし、それでは、歯止めが利かなくなる…。

上の話と、死刑制度の話がどこかでクロスする。


<本日の歩行 なし>