The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

録音

2007年05月19日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

・・・芸人達の録音した声を埋めるために、オペラ座の地下を掘っていたところ、土工のつるはしが一個の死骸を露出させた事を思い出していただきたい。


その素晴らしい発見が私の仕事を決定的な形で完成してくれたのである。


ガストン・ルルー「オペラ座の怪人」ハヤカワ、創元 序文より



エジソンが録音技術を発明したのは1877年です。当時は蝋管(シリンダー)録音と言って蝋あるいは錫のシリンダーに音を刻み込んでいくと言うごく幼稚なものである上に、複製が出来なかったようです。
その欠点を補うかのように、ベルリナーにより1887年には複製が容易な平円盤に録音する後のレコードプレーヤーの原型である、円盤式蓄音機「グラモフォン」が開発されました。
当初、アメリカではエジソンが、ヨーロッパではベルリナーが市場を支配したようです。
しかし、両面レコードの発明などもあり、最終的にベルリナーの円盤式レコードが市場を制しました。

そして演奏家が音楽を吹き込む様になるのは、1889年頃からで、ブラームスが録音したと伝えられています。


20世紀に入るとグラモフォン社、タイプライター社、パテ社、コロンビア社、ビクター社の初期のレコード会社が競って音楽家に吹き込ませる様になったそうです。


歌手達の声を録音したものはSPレコードだったのでしょうか?
いろいろ想像すると楽しいです。


「芸人達」というハヤカワ版の表現も微妙といえば微妙ですが、原作に潜む一種のフォークロア的な雰囲気が出ているような感じがしたので、あえてハヤカワ版にしてみました。



 

踊り子

2007年05月18日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
よく踊り子にはパトロンがいたのだとか聞きます。
原作でもラウルの兄のフィリップとソレリの仲むつまじい関係など描かれています。


ヴェロン博士の当時もオペラ座の踊り子やコーラスガールというのは、今日のタレント志願のようなもので、建前はスターを夢見ながら、実際にはお金持ちのパトロンを見つけて、その愛人になる事を現実的な目標としていました。

それは少女達の・・・というよりも母親の願いでもありました。

桟敷席に陣取る貴族やブルジョワにとって、オペラ座はかわいい愛人を調達する場所であったようです。

ですから、彼等の願いは楽屋に出入りして、狙った少女と直接話をつけることでした。
が、ヴェロン博士以前は、政府の役人が管理していたので、よほどのコネがない限り楽屋裏には入れてもらえなかったのだそうです。

ヴェロン博士は現実的で合理的な人物だったので、殺風景な楽屋裏の練習場を改造して豪華なサロンに変身させ、政府関係者、マスコミ、出資者である金満家連中を自由に出入りさせる事にしたのです。
彼等はバレリーナや歌手の練習風景を見ながら物色し、お気に入りがいれば、早速母親を交えて扶養条件の相談に入ったそうです。

お陰で政府関係者、マスコミ、出資者である金満家連中、そして母親たちからは感謝されたそうです。

一方,オペラ座を高級娼館に変えた、という非難も浴びせかけられました。



映画で支配人達が子爵を楽屋に案内する場面、お金持ちに媚を売る踊り子の姿など思い出したりしてしまいます。

ファントムも焦って姿を現すはずです。


また原作中の「ジリーおばさん」ですが、自分の娘が皇后になるかも・・・という夢と欲に目がくらんで怪人の使い走りになっているのも分る様な気がします。
もともとこのジリーおばさん、コーラスガールか何かだったのか支配人の前で歌ったりしているので、果たされなかった願望を娘に託していたのかも知れませんね。
でも男爵夫人になったのですから大したものです。




鹿島 茂 「かの悪名高き」参考


絵はドガ「踊り子」

もちろんドガの描いた踊り子達はオペラ座のだと思います。

悪魔のロベール 3

2007年05月17日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
ヴェロン博士はルペルティエ街の老朽化したオペラ座の修復をも手がけます。当時のオペラ座は仮建築でした。ですから天井や桟敷の痛みもひどく、照明も暗くガス灯を導入する必要もありました。
工事費用は支配人負担でした。

他に人員削除などオペラ座に改革をもたらします。


・・・で、本題の「悪魔のロベール」です。
内務大臣の許にあるあるオペラ座監査委員会では、ずっと以前からこのオペラの上演は決定されて、マイヤーベアーとも契約が結ばれていました。


しかしこのヴェロン博士の慧眼なのはこのオペラが脚本も音楽もいかにもドイツ的で、冗長で成功するとはまったく考えていなかったことでした。

つまり確実に損失を蒙るというのを前提として上演するからには10万フランの保証金を出せ、と委員会に主張したのです。
しかたなく委員会はこの条件を飲みます。

そしてここからヴェロン博士が凄いと思うのは、前渡しで受け取った金額の全てを「悪魔のロベール」の舞台装置につぎ込んだのです。


時は七月革命後、観客の好みが音楽そのものよりも、舞台装置の豪華絢爛さにある、と見抜いていたのでした。
すでにオペラ座の観客が音楽の分る貴族でなくブルジョワに変わってきていたのでした。

博士は舞台監督を呼び、各場面ごとに舞台装置を全て換えるように指示。
現在は当たり前でも、当時は画期的でした。

博士はマイヤーベアーの重苦しい音楽を派手な舞台装置で隠したのでした。
しかもスタッフと相談して観客が退屈しそうな部分はマイヤーベアーにカットさせました。しかも演出にも変更を加え、作曲者を怒らせますが、結局はこのオペラは、その舞台装置と巧みな演出で、観客のロマンティックな嗜好にかない、見事大成功を収めたのでした。

そのうちに音楽も理解され、高く評価されるようになりました。







しかもヴェロン博士の下でオペラ座の踊り子と貴族の愛人関係が、もっとフランクに堂々となれるようにもなりました。

踊り子というのは、たいていが貧しくオペラ座でお金持ちのパトロンを得たい、と母子で考えていたようです。

そのあたりはまた明日・・・



ドガ「楽屋の踊り子達」






悪魔のロベール 2

2007年05月16日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
「悪魔のロベール」の大成功の影にはヴェロン博士という支配人がいました。


そこでオペラ初演の頃のオペラ座の支配人について・・・。

当時パリ・オペラ座は王立で、その多額の経費は歴代の王室や政府から受け取る交付金と、民間の劇場からの納付金から成り立っていました。

ところが七月革命が起き、ルイ・フィリップが王位につくと、まず民間からの納付金制度が廃止され、王室費からの交付金も大幅に削減されてしまいます。

その結果、オペラ座は財政難になり、赤字になってしまいます。

そこで政府は経営をいわいる第三セクター方式に切り替え、勇気ある経営者を募る事にしたのです。

時の内閣は医学博士で、新聞王として経営者としての才能に溢れるヴェロン博士に白羽の矢をたてます。



天下のオペラ座の支配人・・・・素晴らしいですね。大変名誉な事なのだと思われます。


・・・しかし支配人になるには厳しい条件があったのです。



まず、支配人の契約期間は六年間。
その期間中の損失と利益は、すべて支配人の個人的な責任になるのです。つまり、上手く経営した利益は全額支配人のものになるのですが、失敗した場合は、その損失はすべて支配人が背負うのです。
もちろん少なくはなりましたが、王室費からの交付金はあります。

そして極めつけは、支配人になるためには供託金の25万フランを即刻納めなくてはならないのです。その額日本円で2億5000万円。


(25万フラン・・・どこかで聞き覚えがあるような・・・。)


ですからヴェロン博士はその条件を飲んだ上で、年間100万フランもの赤字を出すオペラ座の支配人になるのです。



「オペラ座の怪人」当時もこのような経営形態だったかは分りません。もしこうだったとしたら怪人の妨害工作で受ける支配人のダメージというのは破産に繋がる大きなものだったのかもしれません。







※ ヴェロン博士は「オペラ座の怪人」時代よりも約50年前の人物なのでパリ・オペラ座と言ってもいわいる「オペラ・ガルニエ」ではなく1821年に建てられたルペルティエ街のオペラ座でした。


このルペルティエ街のオペラ座はのちに火事で消失したという事です。
この写真の絵がその時の光景かは分りません。
管理人がパリ・オペラ座で買ったものなのですが、ルペルティエ街のオペラ座とは書いてないのです。建物の正面には「オペラ」と書かれています。


悪魔のロベール 1

2007年05月15日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
「悪魔のロベール」と言えば2005年映画版でも舞台でも(?)、冒頭のオークションで小道具が競にかけられる時にチラッと登場します。作曲はマイアベーア。
1831年11月22日初演 パリ・オペラ座


原作でも

「・・・マイアベーアのお世辞にも傑作とは言えないオペラ・・・」角川p420

と怪人に言われています。



このオペラ、当時はかなり有名だったようですね。アレキサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」にも出てきたのではないでしょうか?アニメでは使われていました。

公演も大成功で、それまでオペラ座の一日平均収入が1500フランから2000フランだったのが、一気に10000フランに跳ね上がりました。凄いですね。


このオペラ自体が大成功する立役者にヴェロン博士という支配人がいました。

この人物も19世紀パリを彩る怪人物としてその名を馳せたようです。


続きは明日




参考  鹿島茂「かの悪名高き」より





トカイワイン

2007年05月14日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

今日はワイン好きの友達に会いました。
・・・で早速「トカイワインみたいに激甘なワインを年配の男性が飲むってどうなんだろう?」

との質問に答えて身体の疲れを取るために甘いワインが必要だったんじゃないか・・・という事でした。養命酒感覚か?

そういえば怪人さん息が切れている事も何度かありました。アザラシのように荒く息をした・・・とダロガも言ってます。(ダロガはカスピ海に近いマザンダランで仕事をしていたのでカスピ海アザラシを見ていたと思われます。)



あとデザート代わりにもなるとか・・・。またチョコレートやケーキにも合うらしいですよ。


また辛口で来た人が年齢を重ねるうちに貴腐ワインにたどり着く・・・パターンもあるとか・・・。


トカイワインも高級な物は一万円以上するし甘口じゃなぁ~と手が出ません。


そうそう「イラン産黒石榴ジュース」もかなり激甘でした。
飲みきれるか心配です。



イラン産黒石榴

2007年05月14日 | Weblog


「イラン産黒い石榴」
なんて素敵な果汁でしょうか?

イランはペルシャですからね。いきなり萌えて購入

後ろは過去ペルシャ萌えで買ったタペストリーにダロガのアストラハン帽・・・といいたいのですがキルギス製の帽子です。

まぁ、エリックの旅したあたりですよね。大きな目で見れば・・・。←杜撰


ああ、『愛・地球博』またやらないかなぁぁぁ。


ファンクリ薔薇♪

2007年05月12日 | Weblog


だからどうしてファントムが黄色なの?それに終わりかけてるし・・・オイ。


映画で背景に薔薇が使われる時、楽屋の場面などでクリスはピンク、ファントムは黄色が多かったような印象なのです。



・・・・やっぱり赤い薔薇かなぁ?


ノルウェーの湖

2007年05月12日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
ラウルとクリスティーヌはノール・デュ・モンド駅から汽車に乗った・・・筆者も、いつかたぶん、その駅から汽車に乗って、沈黙に包まれたスカンジナビアへ、ノルウェーの湖へ向かうかも知れない!


そうすれば、ラウルとクリスティーヌがまだ生きているという証拠が見つかるかもしれない・・・・!


もしかすると、いつか、私はこの耳で、北の国の寂しい木霊が<音楽の天使>と会ったことのある女性の歌声を繰り返すのを聞く事が出来るかもしれない・・・。


p442



感動的です。クリスティーヌが歌いながらエリックを偲んでいるのかも・・・と考えると。
原作の中で「その後の二人」に言及しているのはここくらいだと思います。
もちろんルルーの空想なのですが、クリスがエリックを忘れていない、というのが感じ取れなくもないし、やはり情景が幻想的です。



・・・でスウェーデン人のクリスがまたなんで「ノルウェー」なの?ですよね。

なんとなく納得していましたがちょっと調べてみました。


スウェーデン=ノルウェー連合は1814年から1905年の間のスウェーデンとノルウェーの連合王国を指す。このとき両王国は一つの君主のもとでの同君連合として連合していた。ノルウェーの完全な独立への試みとスウェーデンとの短い戦争の後、1814年8月14日の「モス協定」と11月4日のノルウェー憲法改正を経て、連合は成立した。同じ日にノルウェー議会は国王にスウェーデン王カール13世を選んだ。


同じ国でもあったのですね。

「スウェーデン生まれの歌手」
「スカンジナビア随一の村祭りのヴァイオリン弾き」
「北欧」

などいろいろ表現されているわけです。

でもクリスは現在のスウェーデンのウプサラ出身と明記されています。


しかしですね、「ノルウェーの湖」と言うのは他にも出てくるのです。





「ひとりの王様が小舟に座っていました。その小舟は、きらめく瞳さながらノルウェーの山中にぽっかりあいた静かな深い湖に浮かんでいました・・・」p85




これは続く「ちいさなロッテ」の物語と並んで対になって書かれています。

「彼女の魂は、その青い瞳とおなじように澄んでいました」



小舟に乗った王様はエリック・・・クリスティーヌの魂のように美しい湖に包まれるように浮かんでいる。
というのはかなり飛躍したイメージですが、管理人萌えてしまっています。




エリックと仏教

2007年05月11日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
エリックと仏教

うわぁぁぁ~、文字を打っていてこれほどの違和感を感じた事は初めてです。


フランス人でイスラム圏を旅した彼の物語がキリスト教やイスラム教と言うのは理解可能なのですが・・・。


えええっと、何か仏教的な物ってないかな?と考えたくなりますよね?ならないか・・・普通


しかしながらブケーを絞殺した現場にあった「ラホール王」の大道具。

この「ラホール」とは現在のインド・パキスタン「パンジャブ」地方の都市の名前のようですね。そしてパンジャブは実際エリックの旅した地名として描かれています。そして「パンジャブの縄」と言う必殺技が出来るのです。


ラホール (Lahore、 ウルドゥー語: لاہور 、パンジャーブ語: لہور) は、パキスタン北部のパンジャーブ地方、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市。


そしてこのパンジャブ地方と言うのが実は元「ガンダーラ」地域に被っているらしいのです。


ガンダーラの王国は紀元前6世紀~11世紀の間存続し、1世紀~5世紀には、仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。1021年ガズナ朝のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。イスラム支配下ではラホール、またはカブールが周辺地域の中心となり、ムガール帝国の支配下ではカブール州の一部とされた。


ペルシャだけでなくアフガンやインドにも旅するなんて凄いです。道すがら仏教遺跡もあったことでしょう。



○ラホール博物館
  パキスタン最古の博物館で、ガンダーラ美術のコレクションが充実。中でも「断食する仏陀像」は有名で、断食苦行を行っている釈迦の姿をあらわしている、ガンダーラ美術の最高峰とも言われる像である。



またエリックの越えたと思われるヒンドゥークシ峠は玄奘三蔵も通った道でした。

ま、アレキサンダー大王の通った道でもあるのでエリックのような冒険心に富み、皇帝好きーな人には大帝国を築き上げた壮大なロマンを掻き立てるこちらを空想していたような気がします。






ギャビオン理事

2007年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」


ルルーとフォール元予審判事を引き合わせたのはギャビオン理事なのではないかな・・・と思っています。

p12 角川でルルーが感謝を捧げているからです。
「メルシエ元理事」と言う名前も見えますが「元」ですから、現職の理事らしいギャビオン理事だと思うのです。

とてもこの調査に協力的な人物のようです。

「オペラ座の理事にもその証拠をじかに手で触ってもらった。」(証拠=遺骨)
その理事の中にギャビオン理事も当然いたと思われます。


そしてその遺骨をオペラ座の記録保管所に安置するのを許可したのもこの理事のおかげもあったかも・・・と妄想するのは楽しい事です。


共同墓地なんてあまりにも悲しいじゃないですか?


タイムカプセル、そして遺体の発見された場所は小さな泉のそば、怪人が初めて、そして最後にクリスティーヌを腕に抱いた場所でした。
そしてそこにはもうおいておけないのだとしたら、オペラ座の歴史を封印した場所に置かれるのが相応しいかと思います。

エリック自身、オペラ座が聖域であり、要塞であり、墓標と思っていたようにも思います。


オペラ座図書室・シャニュイ事件

2007年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
オペラ座の図書室でルルーがシャニュイ事件について興味を持ち調査を始めたのが具体的に何年なのか原作を読む限りでは分りません。シャニュイ事件もです。


シャニュイ事件はその図書室での調査の初期の時点から「約30年前」と書かれています。


ルルーの調査の流れを書いてみます。



ルルー、「怪人」のせいにされている現象の数々が奇怪なシャニュイ事件と同時に起きている事に気付き、調査を始める。
   ↓

ルルーは30年ほど前の事件なら実際その事件に関わった人物もいたのではないかと考えます。
   ↓

しかしその老人達への聞き込みの結果、シャニュイ事件などの出来事を「怪人」と結びつける人物はいませんでした。
   ↓
ある日、ルルーは元支配人の書いた「一支配人の回想」を読んでいましたが、その著者の頑迷さにいささか閉口し、部屋を後にします。
   
するとそこには探し求めていた人物「フォール判事」がいました。ルルーの協力者の一人、おそらくはギャビオン理事とともに。
   ↓
フォール元予審判事とルルーは徹夜をして「怪人」「シャニュイ事件」について語り合います。
   ↓

そこでルルーは「ペルシャ人」「ダロガ」の存在を知るのです。
   ↓
案外あっさりダロガは見つかります。事件当初から住所が変わっていないようなのででしょうか?
(リボォリ街のこじんまりしたアパルトマン。チュイルリー公園あたりならオペラ通りをまっすぐですね♪)


そしてダロガはルルーに会った5ヶ月後亡くなります ゜・゜(ノД`)゜・゜


その出会った時から亡くなるまでの5ヶ月間でシャニュイ事件、そして怪人についてすべての情報を洗いざらいルルーに託すのです。

ダロガがエリックから受け取った物の一つ・・・クリスティーヌが事件の最中にウラルに書いてエリックが持っていた手記(どんな内容なんでしょう?どうしてそんな物を残していったのでしょう?忘れ物なんでしょうか?エリックは読んだのでしょうか?ダロガとルルーは筆跡鑑定のため読んだと思います)をもルルーに渡します。


   ↓

ルルーは調査の成果をシャニュイ一族と親しかった人々に見せます。皆その調査結果に賛成し、ぜひ公表するように勧めます。
仲むつまじかった兄弟が殺しあったと言う事件の解釈に納得がいかず、そんな悪意ある不名誉な噂を打ち消したいからでした。

   ↓ 


ここが大変ドラマティックな場面なのですが、ルルーはおそらくは公表を決意し、事件の資料を手にして、長く困難な調査を終えて今一度オペラ座を隅から隅まで歩くのです。

万感の思いだったと思います。ダロガとの出会い、波乱万丈のエリックの人生、クリスティーヌ・・・を思いながらオペラ座を歩くのは。

   ↓
決定的な証拠の発見


この頃オペラ座の名歌手の「歌声」を録音し、封印しタイムカプセルとする計画が持ち上がっていました。

そのために地下の掘削中、「怪人の骨」が発見されるのです。
まさしくルルーがオペラ座を歩いていたその時に!



オーヴァチュアが聞こえてきそうな、時間の交錯を感じる凄い場面です。



その焼け焦げた死骸の指にはクリスティーヌの嵌めてあげた゜・゜(ノД)゜・゜・・・金の指輪が。
指輪が「怪人実在」の決定的な証拠になります。








そしてこの「タイムカプセル」・・・実話です。

1907年おそらくは6月28日、その「声」はオペラ座地下に埋められます。

オペラ座の地下には「アルフレッド・クラーク氏 寄贈、1907年6月28日」とプレートのある鉄の扉があります。
2007年まで開けられる事のないその扉の向こうには、今世紀初めの最も偉大な「声」の50巻に及ぶ録音が、記録書類とともに眠っています。




つまりルルーは1907年6月28日以前にオペラ座の図書館で調査をしていたという事になります。

単純に計算してシャニュイ事件は1877年前後なのではないでしょうか?



今は2007年、そうちょうど100年後なのです。タイムカプセルの
を開けるのは6月28日なのでしょうか?




ミシェル・サラザン「パリ・オペラ座」参考









ドン・ジョバンニ

2007年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
書き忘れてしまいました。

もちろんモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の最後の





あの悪党は地獄で
プロセルピナやプルートンと暮らすがいい・・・


これが悪事の果て!

罪深い者達の死はいつも
彼等の生命に同じ報いを受けるのだ





を念頭において

「地獄の業火に焼かれたりはしない」

と言っているのです。



しかしながら「ルーアン」と言う後の聖女の火刑の地を選んだのは興味深いです。

そして火刑に処された聖女・聖人と言うのがカトリック史上、ジャンヌ・ダルクだけだというのも興味深いです。



地名が明記されているところでは「ニジニ・ノブゴロド」も宗教者によって奇術師が迫害された土地なのです。