【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「八日目の蝉」

2011-05-02 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

なんといっても、エンディングがいい。ひとことキメ台詞を言ったらスパッと切り上げ、即暗転。実にすっきりしたエンディングだ。
物語は終わっているのに、だらだら弛緩した映像を垂れ流すようなエンディングは、性に合わないってことでしょ。
お、よく知ってるな。
耳にタコができるくらい、聞かされたわよ、「だらだらエンディング映画」の話。
うん、「だらだらエンディング撲滅委員会」の会長としては、この映画みたいなエンディングをお手本にしろってすべての映画関係者に言いたいね。
あれ、いつからそんな委員会できたの?
いま。
前は「最低映画観賞会」の会長だったのに?
兼務だ。
この映画、内容的にも最低映画鑑賞会とは、はるかかけ離れた出来だけどね。
孤高のメス」の成島出監督と、天才脚本家の奥寺佐渡子が手を組めば、見ごたえある映画にならないわけがない。
孤高のメス」なんて、なぜか思ったほど評判にならなかったけど、去年の日本映画の中では屈指の出来だったもんね。
一方の奥寺佐渡子は「学校の怪談」みたいな娯楽映画、「サマーウォーズ」みたいなアニメーション映画でさえ、ものにしてしまう才能の持ち主。
どちらも、観客の気持ちを逆なですることなく物語を運び、難解な部分もまったくなく、それでいて観たあとに心地いい充実感をもたらしてくれる、日本映画にとって希有な存在。
「八日目の蟬」は、誘拐犯の女と誘拐された少女との逃亡劇、そしてその後の二人の運命を巡る物語。
女性だけのあやしげな組織やどこまでも頼りない男たちが出てきて、見ようによってはスキャンダラスなだけでとてもまともな話じゃないんだけど、そこはプロ、おとなになった少女が最後に希望のひとことを言うまでの軌跡にきっちり的をしぼって背骨の通った映画にした。
製作者たちの思いに応えるように、井上真央がテレビドラマの軽い演技を脱し、笑顔を封印した存在感を見せた。
彼女も、とうとう映画女優の顔を獲得したわね。
井上真央だけじゃなく、永作博美、小池栄子、余貴美子といったそうそうたる女優陣が演技の火花を散らす女性映画になっていた。
永作博美が口ずさむ歌は、いまやサントリーのCMで有名になってしまった歌だけど、こういう時期だけに、あの歌をこういうところで聞くと、また一層複雑な思いがこみあげてきて、製作者も予期しなかったような効果を上げている。
いい映画は時代を先取るっていうことか。
そうした女優陣の中で、ほとんど何も言わない田中泯の異様なたたずまいがまた凄い。
ああいうところに田中泯をキャスティングするセンス。そういうセンスがこの物語を映画に昇華させているのかもしれないな。
蟬の抜け殻みたいな映画が多い中で、この蟬は隅に置けなかったっていうところかしら。
いや、七日目の蟬が多い中で、この映画こそ八日目の蟬だったっていうことさ。