アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

689 アチャコの京都日誌(テレワーク中)

2020-04-24 07:48:59 | 日記

④ 断捨離 

配偶者と大げんかの末に、週末のゴルフを断念した。完全に全くスケジュールが消えた。

 

コロナ騒動の影響で「断捨離」がブームとなっている。家にずっといると大掃除でもするか?ってなる。近所の再生紙用の大型ゴミ捨て場にいったら、マスクをつけた人たちがいっぱい集まっていて車が列をなしていた。ちょっとした「密」状態だ。

そこで筆者も断捨離を断行する。さて、筆者の部屋を占領する物は?書籍・CD・DVD・そしてアルバムが3大占有物である。本読みは、老後に本に囲まれて生きていく事が理想だ。高価な書棚を買って、読んだ本をジャンル別、作家別に整理して眺めながら過ごすのである。そしていずれもう一度読み直して見たいと思っている。因みに、すでに生涯再読で過ごせるくらいの量はある。待てよ!生涯かかっても読み切れない量の本がある。中には二度と読まない本も多い。歴史研究関係、歴史小説、推理小説、経済小説、経済読本もの、など・・・かなり偏っている。旬の過ぎた作家や今や必要のない金融経済ものから捨てよう。

CD・DVDは、音楽では、ビートルズとオールディーズしか聞かない。ビートルズはコレクションの趣味なので発売されればすでに持っていても必ず買う。従って捨てられない。編集次第で聞こえ方も違う。それが良い。それ以外は、ほとんどユーチューブで聞ける時代だ。思い切って捨てる。

映像は、多岐に渡っている。落語、プロレス、新喜劇、漫才お笑い・・・・。さらに偏っている。桂枝雀全集などは未だに見ていない。いずれゆっくり見てみようと買っただけだ。談志全集と共に老後の楽しみに置いている。プロレスは、ジャイアント馬場VSジーンキニスキーなど永遠の名勝負を特集したもので門外不出である。プロレスがショーであることが判明した今でも生命をかけた男の戦いが見られる。これは捨てない。

アルバムが一番悩ましい。ゴミとして捨てるものではない。しかし見る事はほとんどない。デジタル化してマイクロチップに落としてしまう手もあるが、いよいよ見ないだろう。現在のデジカメによる写真でもプリントして貯めているくらいの人間なのだ。場所は取るが家族の貴重な思い出は、邪魔になろうはずがない。棚に年代別に整理して置いておこう。

以上、捨てる可能性のあるものがほとんどないことが判明した。あっちのものを、こっちに置いて。こっちのものを、あっちに置いて。以上終了。


688 アチャコの京都日誌(テレワーク中)

2020-04-22 07:31:48 | 日記

③ 遊芸稼ぎ人 

職業に貴賤の別はない。決してない。しかし、コロナ騒動で不足する貴重な人材が、医療関係者だ。医者・看護士・医薬関係者・検査技師など。一方、活動の自粛を余儀なくされている職業も多い。残念ながら、不要不急の職業というものはある。

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以前、桂米朝が人間国宝を授与された時に、自らの職業を「遊芸稼ぎ人」と表現したことを思い出した。遊びを生業にしている。世の中が平和で生活に余裕があってこその職業であると言う主旨だろうと思う。芸人は謙虚であるべきという教えでもあった。また、一番弟子の枝雀がうつ病になった原因が、自分が世の中に必要とされない存在であると悩んだ事とも言われる。落語のまくら(前説)で、地球滅亡の時に脱出できる宇宙船に定員があったら、最後まで乗せてもらえないのが我々だとネタにしていた。そのような突き詰めた思考が深刻なうつ病につながったのだが、師匠の米朝は、芸人の矜持としての「遊芸稼ぎ人」発言であった。世の中からいつナンドキ不要とされるかも知れない、その覚悟が必要な職業であることを自覚せよと言う教えであった。

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もちろん、職業に貴賤の差別はない。しかし、確かに、無くとも困らない命に別状のない仕事はある。特に水商売と言われるものがそうかも知れない。その代わりそのような職業は、いつでもやめる事が出来る。しかも大儲けすることもある。しかし一方、食うや食わずの多くの底辺の存在も多い。誰でも一定の収入を得るサラリーマンとは大違いだ。サラリーマンは、ごくごく一部の幹部社員にならない限り大儲けはない。その代わり気楽な稼業だ。

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今まさに戦争と言うのならば、みず商売の方達の矜持を見たい。自粛要請に応えてもらいたい。現実的には国家が放ってはおかない。

再度言う。10万円はどんな金持ちも辞退せず大いに使おう。寄付も辞退もGDPには貢献しない。

そして、早く飲みに行きたい。遊芸稼ぎ人の至芸を見たい。


687 アチャコの京都日誌(テレワーク中)

2020-04-21 06:22:00 | 日記

② 絶滅危惧種 飲みにケーション族

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コロナ騒動を通じて、社会の通常観念が激変する。テレワークも一部では主たる働き方になるようだ。政府の「働き方改革」が結局一気に進んでしまうことになった。テレポート(オンライン)診療、営業の世界でのオンライン面談、ネット通販も主体になるだろう。飲食店もデリバリーメニューを用意しないと生き残れない。釣銭が感染媒体になるかも知れないので、電子マネーが一気に進む。もちろんセルフレジが当たり前のようになる。コンビニなどでは、非接触清算?買いたいものを持って出るだけで後日口座から引き落とされる事も出来るらしい。

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このような変化の中で、我々の様に根回しや人とのコミュニケーションは飲み会を通じて行って来た人間は絶滅するだろう。狭い焼き鳥屋などで口角泡を飛ばして「自説を叫ぶ」オジサンは完全に根絶やしにされる。三密の典型だ。

その点、オンライン会議は議長の指示により平等に発言できる。人の発言に割り込むことも出来ない。発言はマイクの性能が良くなっていて耳元でささやいているように鮮明だ。活舌の悪いおじさんの話も聞いてもらえるし、つばを飛ばしても感染リスクはない。ただ、人の話をじっくり聞けない傲慢なおじさんには我慢が必要だ。しかし若い人は、お互い平等に発言し日頃おとなしい人の話にも発言の機会を与える。従って、オンライン飲み会も成立するのだろう。

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「やっぱり直に合って見ないとだめだ。」「こんこんと説教してやる。」などとおっしゃるおやじ族は不要の者となる。

でも、入社した新人がいきなりテレワーク?「誰が、人生を教えるんじゃい?」

コロナが憎い。


686  アチャコの京都日誌(テレワーク中)

2020-04-20 08:06:51 | 日記

「コロナ」の画像検索結果

 

 

 

 

 

①給付金は大いに使おう!!

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コロナ騒動で基本的に自宅に籠っている。当初、コロナによる死者より不況による死者(経済困窮者)の方が致死率は高いと思っていた。しかし、その様な考え方が間違っていたことを痛感させられた。次々に回復した人たちの「体験談」を聞くたびに怖くなる。経済活動も命あっての物種だ。とにかく国家的な援助も必要だし、その為の赤字国債も無限に出すべきだろう。次世代の方達から借金して今の命を繋ぐしかない。

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10万円の支給も大賛成だ。当初、国民の自己責任で乗り切るべきとも思ったが、ここは平等に分かち合う。従って、苦しい人も苦しくない人も平等に金をもらう。孫正義も、豊田章男も10万もらう。そして大いに使う。使い道は限られるが貯金せず大いに使う事だ。孫さん始め富裕層には、その何倍も大いに使ってもらおう。それが困窮者への救済になるはずだ。受け取り辞退や寄付ではだめだ、とにかく消費する。通販でも、出前でも、なんでも良い。

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ブラジルのキリスト像(各国の国旗になっている。)

しかし、世界にはコロナより経済停滞が、直接生命にかかわる国も多い。ブラジルでは自粛推進の保険担当大臣が更迭された。経済困窮による死亡リスクの方が感染者死亡リスクよりも切実なのだ。70%感染するまで感染し続けるしかない。大半の発展途上国がそうだ。今後はそのような国との交流が大きなリスクとなって来る。グローバル化に歯止めがかかるのか。コロナ後の世界が懸念される。

いずれにしても、現在の感染ペースを止めないと何もできない。飲み会したい・・・・・・・。我々世代は、リモート飲み会も適わず・・。(悲)


685 アチャコの京都日誌  武者と戦った天皇たち  ゆかりのお菓子(偉い人も食べた?)〇 番外 「幽霊子育て飴」 六道の辻

2020-04-18 09:14:49 | 日記

〇 番外 「幽霊子育て飴」 六道の辻

みなとや幽霊子育飴本舗 公式HPより
 
 京都には、とても信じられない言い伝えが多い。東山六道の辻に奇妙なエピソードを持つ菓子(飴)があるので皇室には特に関係ないが紹介したい。
登場するのは、若い女性の幽霊。場所は鳥辺山から清水坂を下りた六道珍皇寺辺りである。いかにも幽霊の出そうなところで、昔から葬送の地であり京都屈指の心霊スポットである。六波羅蜜寺への道と清水通の交差点、「檀林皇后九相図」で有名な西福寺の角に「みなとや幽霊子育飴本舗」はある。
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六道の辻?

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檀林皇后(橘嘉智子)九相図 自らの死後の変化を書かせた。
 

話と言うのは、その昔、ある夜、店先に飴を一つ求める妙齢の女性がやって来た。生気がなく何か様子が変に思ったが、一つ一文で売ってあげた。次の夜も一つ一文の雨を買い求めて帰った。そのように6日間続けて買って帰ったが、7日目になって代金がないので汚れているが仕立てのよさそうな羽織を差し出して飴をくれと言う。何か事情がありそうなので飴を売ってあげた。翌朝、汚れた羽織を洗って干しておいたところ、ある大店の主人が「あの羽織は?」と聞く。事情を話したら、お腹に子を宿しながら命を落とした娘の棺桶に入れてあげた羽織だと言う。驚いて、娘の墓を掘り返したら飴をしゃぶっている赤ちゃんがいた。土の運気で生まれた赤ん坊の為に、娘は死んでいながら六文銭(三途の川の渡し賃)で飴を与えたが、銭が無くなって最後に羽織をもって来たのだ。死してなおわが子を思う母の愛情の表れと今日まで語り継がれている。その飴を今でも売っている。なお、みなとや幽霊子育飴本舗の説明では、木の葉(樒しきみ)を代金代わりにした話となっている。なお、その赤ちゃんが成長し大きなお寺(立本寺)の高僧になったと言う。

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昔は水飴にして箸に巻き付けて売っていたらしいが、現在は袋入りで昔ながらの素朴な味でアキが来ないものになっている。これで赤ん坊が育つとは思えないが、麦芽糖から作られた飴なので栄養は十分与えられるものだろう。このように京都には、不思議な話と共に現代に伝わる伝承やことわざが多くありる。