④ 八つ橋 聖護院
天皇の皇子や親王家の王子でも、継承者(皇太子など)でなければ摂関家などの高級公家の猶子になるか門跡寺院に入る。多くは若くして出家して仏門修行に専念することになる。誠に過酷な運命である。光格天皇も閑院宮家に生まれた時、第6皇子であった為、いずれ聖護院に入寺することが決まっていた。しかし、後桃園天皇の崩御時、まだ出家していなかったなど諸条件を総合的な判断からから急きょ即位したのである。
その聖護院近くに京菓子の定番である「八つ橋」の老舗が集中している。聖護院の門前西には「本家八つ橋西尾老舗」、丸太町交差点に「聖護院八つ橋総本店」がある。「井筒八つ橋本舗」は右京区に本社、四条川端に大きな店がある。近年は、「生八つ橋」と言われる柔らかい八つ橋が主流だが、硬い板状の八ツ橋が本来の八ツ橋だ。米粉と砂糖にニッキの粉を加えたものを板状にのばして焼いたものを本来「八ツ橋」と言う。その形が、そりがあり、川にかかる橋を現わすと言う説がある。三河国の川に八つの橋を架けた「八つ橋伝説」による。また、琴の名手である八つ橋検校が亡くなった時に、彼に因んで琴の形をした菓子を作ったものと言う説も有力だ。「橋」なのか「琴」なのか焼いた八つ橋の形を見ていると、いずれにも見えて来る。
本家八つ橋西尾老舗は「あんなま」シリーズ
聖護院八つ橋総本店は「古都の○○」シリーズ
井筒屋は「生八つ橋夕子」、下は最近発売のミルキー味の八つ橋
大正天皇即位行事の時に、「五色豆」と共に一気に全国的京菓子になったようだが、現在のバライティーに富んだ生八つ橋の隆盛は第2期だと言える。上記3社が有名だが、最近本家と本舗で訴訟事件があり話題となった。我々には関係なく、おいしい生八つ橋を頂ければそれで良い。筆者も東京への土産にはこれをよく買うが、実は自分が一番食べたいからである。
本編で書いたように光格天皇は、即位後すぐに天明の大火で御所を焼失している。その時にくしくも聖護院を仮御所(避難場所)にしている。菓子好きの光格天皇は、皇室御用達「虎屋」がおさめた多くの菓子に銘を与えている。いずれも「長月」や「村紅葉」「滝の糸すじ」など味だけでなく季節や浮かぶ風景なども考えた名前を付けている。(虎屋HPより)仮御所で過ごした間に、近くの八つ橋を所望したかも知れない。いや、きっと食したに違いない。ぜひとも現在の甘い餡を包んだ生八つ橋を食べて頂き「銘」を頂戴したいものだ。