アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

970回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」㉕

2023-02-10 10:22:18 | 日記

 

① 71代後三条天皇~72代白河天皇 天皇の逆襲、院政を確立する

 

 その1  藤原摂関家全盛期へ

一条天皇と藤原道長の関係をわかりやすく【彰子と定子】 | ま ...

この節では、天皇家の政治復権を果たした親子を見て行く。前節で書いたように、光孝・宇多天皇親子の血統が本流となり皇位継承がなされたが、次代の醍醐天皇の母の藤原胤子以降、朱雀・村上・冷泉・円融・花山・一条・三条とすべて藤原摂関家の娘が天皇の母となる。そして、後一条・後朱雀天皇の母は有名な藤原道長の娘彰子で、後冷泉の母も道長の娘の嬉子でありここにおいて藤原全盛期を迎える。その次の天皇で今回取り上げる後三条天皇は、宇多天皇以来170年ぶりに母が藤原氏ではなく皇女(三条天皇の子)である。つまり、藤原氏を外戚としない天皇が登場したのである。

 しかし話はそう簡単ではない。藤原摂関家(北家)は前節で紹介した基経・忠平以降も数々の陰謀を仕掛けて道長・頼通親子の時代を迎えていた。この章の主役後三条天皇の祖父三条天皇には、皇后と中宮がいた。一人は道長の娘妍子(けんし)、もう一人は娍子(せいし)で別の藤原氏(大納言藤原済時)の娘で地位に優劣はない。ところが、娍子には男子が産まれるが、妍子には女子しかできなかった。そこで道長の強烈ないじめとも言える退位勧告が始まる。三条天皇が患った眼病も内裏の火災も天皇の徳の無さが理由だと主張する。自らの外祖父の地位を守る為、敦成親王(後一条天皇)への譲位を迫る。三条天皇は娍子所生の敦明親王をなんとか次期天皇にしようとする条件闘争に出る。すでに天皇と言えども藤原摂関家にはこの程度の抵抗しか出来ない状況になっていた。そのような中、再度内裏が火災で焼けるという三条天皇の権威の無さを象徴するような事態となった。遂に譲位を決意するが、次のその次は敦明親王で押し切ろうとする。しかし、新天皇である後一条天皇が9歳で、新東宮(皇太子)敦明はすでに23歳という年齢逆転という際どい状況に変わりはなかった。結局、三条上皇が翌年崩御し、結果敦明は身の危険を感じてなのか自ら東宮の地位を放棄する。道長の嫌がらせが想像できる。ただ、彼を後一条院という天皇経験者並みの地位を与えて厚遇した。やはりその恨みと、三条上皇の死後の怨霊を恐れたと思われる。さらに、道長が摂政に就任しここに藤原全盛期が成立する。

藤原道長について!摂政や家系図・娘、「この世をば」の歌 ...

 藤原全盛期は、その後、後朱雀・後冷泉と続き、永く我が世の春を謳歌すると見られたが、子の頼通には長く後継男子に恵まれず、遂に男子誕生を得たが晩年であったため自分の兄弟たちとの権力争いに苦しむ。後冷泉の後継に摂関家を母に持たない尊仁親王(後の後三条天皇)とする時もかなり抵抗するものの、自らの異母弟たちに阻止される。藤原氏恒例の内紛と、後冷泉天皇に一人の皇子もいなかったこともあり、結局その後継者とて後三条天皇が誕生する。東宮にあること23年、即位時35歳という満を持しての即位である。あたかも新時代を担う運命を背負うような即位であった。