アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

965回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」㉑

2023-02-04 10:23:37 | 日記

その2 藤原基経との関係(光孝天皇の登場)

関白とは?簡単にわかりやすく解説するよ【藤原基経の経歴と ...

藤原北家の当主は冬嗣、良房と続きその子に適当な子がいなかったのか、甥である基経を養子とし全権を委ねた。この時、藤原氏の総帥はその基経であるが、彼は、養子に乞われたこともあり極めて優秀であった。ただ、直系の後継者でなかった為か、何かにつけて自らの権威を強化することに異常な執念を燃やした。生まれながらのぼんぼんではなかったのだ。これが、陽成・光孝・醍醐と3代の天皇にわたり確執を生む。しばしば辞任をほのめかして、政権に揺さぶりをかけて天皇を脅した。古来、高い地位に就くときは儀礼的に「辞退」することが美徳とされた。しかし、彼は本当に出仕を辞めてしまうことがあったという。つまり「自分がいなければ何も出来ないでしょう?」と、言わんばかりに天皇に圧力をかけて来たのだ。中でも、陽成天皇即位後の元服時にもそのような事態があったようで、基経のお陰をもって即位したものの天皇も自我に目覚め基経との対立が表面化する。そのような背景もあり陽成天皇の数々の奇行に繋がったと考えられるし、一方、基経から見ると奇行が目立つ天皇を制御できなくなってある種の嫌気がさしていたとも考えられる。陽成天皇を退位に持ち込めば、外祖父という藤原氏の伝統的権威取得の手段を放棄することになるのだが、基経にはそのような特権を得なくても自らの実力に自信があったと考えるのが定説だ。

光孝天皇

 いずれにしても皇位継承から見ると由々しき事態が出立していた。さらに、後継の光孝天皇は仁明天皇直系とは言え、3代さかのぼり55歳の老齢天皇の誕生になる。以前紹介した桓武天皇の父光仁天皇の即位事情に非常に似ている。いずれも「光」の文字が諡号についている。これは偶然ではない。「光」という文字には中国でも古来より、「つなぐ」意味があり、日本では瑞光というように「良い兆し」の意味もあった。