西京区桂の地蔵院に行って来た。臨済宗 衣笠山地蔵院というが、竹の寺とも呼ばれる。
物集街道の五条通りを越えると、「西芳寺」や鈴虫寺として有名な「華厳寺」などがある。京都市バスの終点(苔寺・鈴虫寺行き)にあるが、自家用車か阪急上桂駅からタクシーが便利だ。他の二つの寺よりマイナーなので、筆者もしばしば気にしながらも行きそびれていた。本日は、そこだけ目指して行った。9時の開門前から山門前に待機した。小雨降る極寒の日であったが、竹林の中にいると誠に情緒あふれて風情がある。なだらかなのぼりの参道を入ると、正面に本堂がある。
方丈内
本堂内には、本尊の地蔵菩薩の他に、夢想国師・宗鏡禅師・細川頼之の各木像を安置している。元々800年ほど前の歌人衣笠内大臣藤原家良の山荘だった。山号はこれに因む。南北朝時代に細川頼之が宗鏡禅師を招いて伽藍を建立したもので、宗鏡禅師は師の夢想国師に遠慮し招請開山にし自らを2代目とした。従って、代々細川家の支援を受けて栄えた。
十六羅漢の庭
方丈の前庭は、「十六羅漢の庭」と呼ばれ、宗鏡禅師作とされているが、修行中の羅漢さん達が石清水八幡宮に願掛けをしてるかのようにやや右方向に傾いているのが特徴だ。水苔が一面を覆い長い歴史を感じる。方丈内には、現在の細川家の当主、元首相細川護熙氏の寄贈による襖絵や掛け軸が展示されている。「瀟湘八景の図」は、中国の洞庭湖の景勝地八か所を描いたもので、日本画家の多くが挑む画題である。
その横には、細川ガラシャが屏風に描かれてあった。こちらも現代の作家のようで、来年の大河「麒麟が行く」で当代一の美人が必ず演じるガラシャ役を誰がするのかが注目されるところだ。
また、後小松天皇の実子である一休禅師は、ここ地蔵院で生まれた。周囲は竹林で囲まれていて洛中の賑わいとはかけ離れた静寂がある。貴人が別荘として営むには絶好の場所だが、ここにも応仁の乱の戦火が襲ったと思うと、京の歴史の複雑さが分かる。しばし住職の奥方と思われる女性の話を聞きながら京の歴史を改めて考えて見た。