アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

680 生きてるだけで丸儲け ⑪ 横山プリン

2019-12-24 11:48:39 | 日記

 

横山プリン

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関西芸能界は、突然として異能の芸人を産む。横山やすしと並び横山ノックの一一番弟子・二番弟子の横山プリンは、やすしとコンビを組むが仲が悪く2度コンビ別れする。因みに、やすしはレッツゴー正司ともコンビを組むが分かれて、西川きよしと最後のチャンスに賭けたのだった。一方、横山プリンはピン芸人で生きて行くしかなく、ラジオの深夜放送で細々と生きていたのが、『パクパクコンテスト』という化け物番組に巡り合い一瞬メジャーな存在となった。1970年代に、千里セルシーホールにて公開収録されていた番組『プリン・キャッシーのテレビ!テレビ!!』内の人気コーナーとして始まり、後に独立した番組となったもの、ハーフ(アメリカと日本?)女性のキャッシーとのコンビで人気だった。キャッシー中島とは別人である。過激な爆弾トークが売り物の為、ぎりぎりの芸風を誇っていた。その後、急速に人気は落ちて海外に移住した。少ない髪の毛をロングにしサングラス・オーバーオールのいでたちで、説明のしようのない一瞬の芸人だった。

 


679 生きてるだけで丸儲け ⑩  今喜多代 島田洋之介

2019-12-24 08:45:17 | 日記

今喜多代 島田洋之介

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夫婦漫才の先駆けである。都蝶蝶・南都雄二、正司敏江・玲児など夫婦漫才は多いが、夫婦を前提に笑いを取るのは当時珍しかった。中にはコンビを組んでから良い中になったコンビもあったが、基本的に漫才コンビは私生活に交わりがなく、中には公然と対立するコンビも多い。

ところがこのコンビは、洋之介のおっとりした性格と今喜多代の小気味よいしゃべりが絶妙で、夫婦仲の良さがうかがえた。全盛期は 舞台中央に立って喜多代がマイクの高さを下げるだけで笑いを取っていた。ボケと突っ込みははっきりしていて、喜多代がしゃべり続けてたまに洋之介が突っ込む。時々、洋之介が自慢の歌を披露すると、絶妙のタイミングで「はっ!」と、調子はずれの合いの手を入れる。誠にほのぼのとした漫才だった。

 

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洋之介は糖尿病で早くに引退したが、弟子は多く。「いやよ いやよ いやなのよーーー。」のギャグの島田一之介やB&B、島田紳助、今いくよ・くるよなど多彩なメンバーが芸を継いでいる。

とにかく、喜多代のかん高いしゃべくりが懐かしい。途中から、今日喜多代や今日規汰代など、しばしば芸名を変更したのは、彼女の趣味が「風水・易」であった為である。因みに、洋之介も当初島田洋介だった。