㊳ 平安京 38代 通算87代 四条天皇
在位 1232年~1242年
業績(事件) 泉涌寺に祀られた最初の天皇
父 後堀河天皇
別称 別になし
死因 病死
御陵 月輪陵
宝算 11歳
承久の変の後、後鳥羽院の直系の系統には絶対即位させなかった。従って後堀河天皇の子にせざるを得ないので、父の死後2歳で即位して12歳で崩御された。中宮はいたがいかに精力旺盛な天皇家でも、生殖行為には及ばなかった。
死因は、「女性の陰部を覗こうとして、廊下に蝋を塗って女官たちが滑って転ぶのを見ようとしたところ、自ら転んで脳挫傷で死んだ。」という。また、後鳥羽院の「怨霊」のせいとも言われる。誠に御不幸な天皇だ。時代は、飢饉の連続、その為天然痘の大流行の時代でもあった。その証拠に、わずかな間に元号がいくつも変わっている。
在位10年の間に、実に7つの元号だ。現代でも大きな災害の時には「改元」も検討すべきではないか。