アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

522 アチャコの京都日誌 平安京天皇史 平安京 第52代 称光天皇

2019-01-30 12:14:13 | 日記

 

 52 平安京 52代 通算 101 代 称光天皇

 「称光天皇」の画像検索結果

在位 1412年~1428年

業績(事件) 病弱

父   後小松天皇 

別称  

死因  病死

御陵 深草北陵

宝算 28歳

自らの血統を残せなった天皇は、病弱で奇行多い天皇とされることが多い。兄弟姉妹に皇位を譲る事が出来ればまだ良いが、いとこやそれ以上さかのぼっての皇統に引き継ぐ場合は、新血統の正当性を主張したい余り、前天皇を貶める事が多い。神代では、武烈天皇がその例だが、平安以降でも冷泉や陽成などいくつかその疑いがある。歴史は、今目の前にいる権力者の為に書かれるものである。

今回の、称光天皇は後光厳天皇の直系だが、その父光厳帝まで遡り8親等離れた伏見宮に引き継がざるを得なかった。

 後小松天皇の第一皇子であったが、生来の病弱ですぐに第二皇子の小川宮を後継者に決めていた。その為、父後小松上皇とはずっと不仲だったようだ。その間、朝廷内部を調停したのは室町第4代将軍義持である。まだ幕府や将軍がしっかり権力と信頼を得ていた時代であった。残念ながら称光天皇に業績的な記録はなく、以下の話が伝わるのみだ。

太刀や弓を好んでいた為、金のムチで女官や近習をしばしば打ち据えた。17歳の時、愛した内侍が妊娠した時、自分の子ではないと言い張った。いずれも大罪ではないが天皇の奇行としては残念な話だ。

いずれにしても、後継者をつくることを唯一の目的に生殖活動を強いられる天皇が、さほど性欲の強くない場合どれほどのストレスか。性欲はありながら配偶者以外の女性に恵まれない我々現代の男性には理解できない。

なお、追号は、48代称徳天皇 49代仁光天皇から一文字ずつ取っている。50代は絶倫の桓武天皇なので皮肉な追号と言わざるを得ない。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

521 アチャコの京都日誌 平安京天皇史 平安京 第51代 後小松天皇

2019-01-30 09:57:12 | 日記

  51 平安京 51代 通算 100 代 後小松天皇

 「後小松天皇」の画像検索結果

在位 1382年北朝~1392年(南北統一)~1412年

業績(事件) 南北朝統一へ

父   後円融天皇 

別称  

死因  病死

御陵 深草北陵

宝算 56歳

以前から小松天皇はいないのになぜ、後小松?って思っていたが、小松とは、光孝天皇の異称であると分かった。光孝天皇はその子の宇多天皇そして醍醐天皇と続き、その追号は、自らの血統を長く続けたことでその尊敬と憧れの気持ちが込められていると推察する。

即位は異例な事で、義満の室町御所(幕府)で行われた。すべての事が三代将軍義満の掌(たなごころ)のままであった。この天皇から「即位灌頂」という儀式が慣例となっている。「灌頂」というからには真言密教の儀式だ。決められた印を結びその後登極する(高御座に上がる)儀式で、神式の天皇家には異例だが、三種の神器が揃わないという異例なこの時期にそれに代わる天皇の権威付けをするためのものと言われる。

当時6歳の後小松は、院政の父後円融上皇の意のままで、その後円融上皇は義満の意のままであった。残念ながら南北朝統一も天皇の業績ではなく、義満の最後の政治課題であったのだ。南朝に示した統一の条件は、①三種の神器を譲る事(国譲り)②大覚寺統、持明院統の交互即位、であった。①で明らかなのは南朝を正統としたことで、その事は大きい意味を持つ。南朝の後亀山天皇はそれを認めて天龍寺に入った。しかし、年号は、南朝の「元中」を廃止し、北朝の「明徳」が継続したので事実上の南朝滅亡である。しかも再び大覚寺統の天皇が即位する事は今日に至るまでない。要は、騙されたのである。

時代は室町幕府の絶頂期と重なる。有名な、「明」の使者が日本国王としたのは足利義満だった。この事から義満が皇位簒奪を企てたと後世の歴史家は見ている。いずれにしても弓削道鏡以来の皇統の危機であった時代だ。

因みに、大徳寺住職一休宗純は、後小松天皇の御落胤とされている。その所縁のお寺「酬恩庵」には、菊の御紋章のついた御廟がある。私は、晩年の、一休さんの性欲の強さから天皇家の血筋と確信している。一休さんは70歳を超えてから「森女」という盲目の若い女性を愛した。一休さんはその営みについて詳しく文章で残している。狂雲集という日記のようなもので「狂雲」とは一休さんの号だが、まさに狂ったように振舞っている。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

番外 年を重ねると「気にいらない事」が多い

2019-01-30 08:52:32 | 日記

集団リンチ (結局は一部のエリート社員に理不尽が襲う)

明石市長がやってくれた。

「明石市長」の画像検索結果

マスコミによる集団リンチが始まった。「火を付けて来い!」「自分で賠償しろ!」と、言葉がどんどん切り取られ独り歩きする。ハラスメントだ、暴言だと大騒ぎになる。冷静に考えて欲しい。そもそもこの様な録音が何故出回るのか?当事者からではなく横にいた人間が録音していたらしい。会社や役所などで録音可能な状態でスタンバイしている部下が常にいるのだ。さらにこの録音がはるか2年前である事。今年は統一地方選挙である事を考えると匂いがぷんぷんする。

一方、叱られている市の職員の怠慢はどうなのか。企業でも勤務懈怠の社員に強く指導するのは当たり前ではないか。まして市民税を使う公務員の職務怠慢は市民にとって許しがたい事なのではないか。選挙で選ばれた市長が激高するのはむしろ称賛されるべきではないか。「火を付けて来い!」は、アメリカンフットボール監督が、「やっちまえ!」「殺す気で行け!」などの類であって、それが為に職員が放火するはずはないのである。

このようにマスコミの「切り取りの暴力」で炎上させると、世の管理職は部下を指導できなくなるのだ。長年にわたり太古の昔から暴言でも暴力でも優れた生存能力を持つ祖先がその遺伝子を繋いできた。わずか数十年前まで「叱る」という感情が必要だった時代を経て今日「ハラスメント」という新語で大きく世の中が変わっても対応できない熱い?上司が存在するのだ。

通常の指導とハラスメントの境目が日々変化する今日、世の管理職たちは「叱る」のをやめて自ら仕事を抱え込み、働き方改革の名のもとに早々に帰宅する部下を見送り深夜までサービス残業をしているのである。

理不尽は一部のエリート社員に来るのだ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする