逆順でたどる平安京の天皇たち
70代 後冷泉天皇 藤原道長・頼通全盛期の帝
遂に、70代の節目に達した。50代桓武天皇まであと20人。6月中に終了することになる。その後は本来の観光日誌に戻りたいが、ネタが尽きて来た。
さて、後冷泉天皇。 誠に書きにくい天皇だ。
元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
圓教寺陵 |
諱 |
親仁 |
父親 |
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母親 |
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皇后 |
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中宮 |
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子女 |
皇子 高階為行 |
皇居 |
母が、藤原嬉子(道長の娘)、皇后は藤原寛子(頼通の娘)。ここまで書いてその後を書く気にならない。想像頂けると思うが、実権はこの天皇にはなかった。まさに藤原家が、「望月」の絶頂の時代だ。
藤原氏が「荘園」を独占し続ける中で、皇室の財政は困窮していた。即位後すぐ荘園整理令を発布するが、藤原家に骨抜きにされる。
この天皇の最大の功績は、皇后寛子との間に皇子を作らなかった(出来なかった)事だ。生殖が最大の義務である天皇が、男子誕生がなかった事が功績とは?
結果、藤原摂関家から外祖父の地位を奪った。天皇家親政が始まる。
それ以外に特筆すべきことが無い。冷泉天皇という猟奇?の天皇の贈名をもらっている事も気の毒に思う。
以上、今回はこの程度でご勘弁を頂く。