番外 TDL に孫たちと行く。
実は以前、仕事の関係でしばしば尋ねたが、あちこちで行列に並ぶのはもうこの年では辛い!!(涙)
この年でディズニーランドに行くのは体力がいる。
夢の楽園だ
デビューの証!
番外 TDL に孫たちと行く。
実は以前、仕事の関係でしばしば尋ねたが、あちこちで行列に並ぶのはもうこの年では辛い!!(涙)
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デビューの証!
逆順でたどる平安京の天皇たち
72代 白河天皇 院政の始まり
白河天皇は、父後三条天皇の第一皇子で二十歳の時に、父の病いが重くなり即位した。後三条天皇在位中、藤原頼通から弟教通の時代だが頼通兄弟に有力な男子が出来ず、藤原摂関家の支配が弱体化している。白河天皇の中宮には公家源氏の娘がなっているので外祖父の地位も藤原氏が確保できていない。この間、天皇の継承は親子で平和に繋いでいた。
神輿を担ぎ強訴をする様子
さて、白河天皇を書くには、まず「三大不如意」を紹介しなければならない。「鴨の水、双六のサイコロ、比叡の山法師。」天皇の意の通りならないものだ。当時の鴨川は暴れ川で、しばしば氾濫し多くの死人を出した。天候はどうにもならない。また、サイコロは言うまでもなく確率の問題だ。どちらも何人も意のままにならない。一方比叡の山法師は、しばしば御輿を担いで朝廷に強訴に及んだ。白河天皇の最大の悩みの種だったのだ。
現代でも怖い顔を見せる鴨川
実際、年表で確認すると白河天皇即位早々1073年の6月には『京都大洪水』の記載があり、2年後の6月にも同様の記載があり現在のような梅雨時のゲリラ豪雨があったものと思われる。また、強訴については毎年のように記載があり、1092年9月には延暦寺僧徒による訴えで高級公家が流罪になっている。また、比叡山と興福寺、天台宗の寺門派と山門派の争いで京都を戦場にする有様だ。
しかし、このたとえ話は、白河天皇の権力の強さを示すもので、これ以外はすべて思い通りに出来た証である。
祇園女御と白河上皇(松田聖子と伊東四朗)ぴったりのイメージ HNKから
さらに、女性も思いのままにしたと言われる。天皇の最大の仕事である生殖活動の為には、宮中内は常にお相手に不自由しないようになっている。ただ、中宮の賢子との仲は睦ましくその間は多くの女性と交わった記録はないが、その死後は堰を切ったように、手当たり次第だったらしい。しかも自分の寵姫を次々に配下に差し渡した。下級公家の女御でも自由に愛し、しかも有名な「祇園女御」などは平忠盛に差し渡した為にその子清盛は、そのお種と言われることになる。寵姫を何と孫の鳥羽天皇に差し渡し、その結果の崇徳天皇のことは詳しく書いたので、お分かり頂けるものと思うが、つまりやりたい放題だったのだ。
また奔放な女性関係と併せて男色も好む傾向があり、近臣として権勢を誇った多くの臣下は男色関係における愛人?出身といわれる。
まさに体を張って出世したのだった。セクハラ・パワハラ絶好調だ。
信心深く六勝寺などの建立に尽力したが、庶民の負担は重く後生の評価は厳しい。肖像画はやはり絶倫男子に見える。ギラギラ!。
次回は、歴史上の転換点の天皇 後三条天皇