わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

戦後70年。山田洋次監督による長崎への鎮魂歌「母と暮せば」

2015-12-27 13:26:34 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 1945年8月9日、原爆を搭載した米軍爆撃機B-29のコックピット内。彼らの当初の標的・小倉(現北九州市)は雲に覆われて目視できず、目標を長崎に変更。やはり曇っていたが、雲の切れ目を見つけて原爆を投下。モノクロのリアルなシーン。山田洋次監督「母と暮せば」(12月12日公開)の衝撃的な冒頭だ。主人公の医学生・福原浩二(二宮和也)は、長崎医科大学での授業中に原爆に見舞われ、一瞬のうちに命を失う。戦後70年。山田監督は、作家・井上ひさしが手がけた戯曲、広島を舞台にした「父と暮せば」の思いを引き継いで、長崎への原爆投下を題材に、それと対になるような作品を作り上げたかったといいます。
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 井上ひさし原作の「父と暮せば」は、2004年に黒木和雄監督で映画化されている。広島への原爆投下から3年後の1948年。図書館に勤める美津江(宮沢りえ)は、愛する人々を原爆で失い、自分だけが生き残ったことに負い目を感じながら、ひっそりと暮している。あるとき彼女は、図書館で青年・木下(浅野忠信)と出会う。ふたりは惹かれ合うが、美津江は自分は幸せになってはいけないのだと、恋心を必死に押さえ込む。原爆の直撃を受けて亡くなり、亡霊として姿を現した美津江の父親・竹造(原田芳雄)は、そんな娘を見かねて“恋の応援団長”として彼女の心を開かせようとする。1960年代から70年代にかけて、日本映画界のニューウェーブとして評価された黒木監督は、このドラマを哀切なタッチで描いた。
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 山田監督の「母と暮せば」は、「父と暮せば」の主人公親子の設定を入れ替えたような形になっています。1948年8月9日、長崎で助産婦として暮らす伸子(吉永小百合)の前に、3年前に原爆で死んだ息子・浩二が亡霊となって現れる。その日から、ふたりはいろいろな話をするが、一番の関心は浩二の恋人だった町子(黒木華)のことだった。伸子は「いつか、あの子(町子)の幸せも考えなきゃね」と言う。これに対して、浩二は「そんなの絶対嫌だ。町子には僕しかおらん!」と反発する。やがて、町子に婚約者・黒田(浅野忠信!)が登場する。これに対して、浩二がそれまでの主張を変えて、「町子が幸せになって欲しいというのは、僕と一緒に原爆で死んだ何万人もの人たちの願いなんだ」と言うセリフが印象的だ。
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 いわば、この作品は、長崎原爆投下を題材に、母と息子との関係をつづった人情ファンタジーとでもいうべきか。原爆投下に対する怒りの代わりに、母と息子の悲しみをノスタルジックに表現。その点では、海外で上映されたらウケるかもしれない。見どころは、戦後3年目、昭和23年ごろの世相と風俗・文化が作品にみごとに反映されていることだ。物資不足と闇で出回る食糧品、ラジオやクラシックのレコード、満員電車や学校の教室の風景。山田監督は、セットのみならず帽子や靴など小道具に至るまで、時代を表現したいと気を配った。町子役の黒木華のちょっとしたしぐさにも注文が出た。当時貴重だった卵の持ち方、切れた下駄の鼻緒の結び方、髪のかきあげ方など。そうした時代色の再現が、なんとも懐かしい。
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 そして、ラストは伸子の死。教会での葬儀。長崎市民によって合唱される坂本龍一作曲の「鎮魂歌」、祈り。伸子と浩二母子は、雲の彼方(?)へ去って行く。遠方にかすんで見える平和祈念像。この宗教臭いエンディングには、思わず「エッ!」と驚いてしまいます。なぜなら、冒頭のB-29のシーンとの落差が余りにも大きいからです。山田監督は言う。「この映画は母と息子の愛情の物語だけど、この映画を通して、戦争について平和について考えるようになってくれればいいなと思います」。当時の発表では、長崎での原爆による死者数は7万5千人。こうした悲劇も、本作では「鎮魂歌」と祈りの中で昇華されていきます。それでも、さすが山田監督の親子の描き方、ドラマ展開にはソツがありません。(★★★★)



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