1950年代末から60年代にかけて、フランス映画界に革命的ともいえるヌーベルバーグ(新しい波)が台頭しました。カメラはスタジオを出て、激動する社会の断片を切りとり、現実の矛盾に対する怒りや無力感を表現した。その旗頭ともいえる監督たちが、「死刑台のエレベーター」(57年)のルイ・マルであり、「勝手にしやがれ」(59年)のジャン=リュック・ゴダール、「いとこ同志」(59年)のクロード・シャブロル、「大人は判ってくれない」(59年)のフランソワ・トリュフォーらだった。彼らは、シネクラブやシネマテークで映画を学び、20代で監督デビュー、既成の映画界を否定し、反体制的な姿勢を貫いたのです。
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そうした流れの中で発表されたルイ・マルの「地下鉄のザジ」(60年)が、作品生誕50年を記念し、完全修復ニュープリント版で9月26日に公開される。小生意気な少女ザジ(カトリーヌ・ドモンジョ)が、田舎からパリにやってくる。彼女の目的はメトロに乗ること。だけど、メトロはストの真っ最中。そこで彼女は、珍妙な大人たちを相手にハチャメチャな騒動を引き起こす…。メッセージ色が強く、息づまるようなヌーベルバーグ作品の全盛時代、ほっとひと息つけるドタバタ・コメディでした。でも、全編にみなぎっているのは、大都会パリと、そこに住む大人たちに対する揶揄(やゆ)の姿勢です。しかも、ザジのイタズラにはさまざまな映像のトリックが仕掛けられていて、その技法はいまだに斬新だ。
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「地下鉄のザジ」は、フランス文学界でもっとも前衛的な作家といわれたレーモン・クノーの小説の映画化。それ以前に、ルイ・マル監督が25歳で完成させた初長編映画で、胸がふるえるほど鋭角的なサスペンス「死刑台のエレベーター」、官能的なエロスのドラマ「恋人たち」(58年)に次ぐ3作目で、実に才気あふれる作品です。その後、マルは「鬼火」(63年)などを手がけたのち、アメリカで「プリティ・ベビー」(78年)、「アトランティック・シティ」(80年)などを監督。1995年、がんのため63歳で死去。遺作は「42丁目のワーニャ」(94年)だった。2度の離婚をへて、アメリカ女優キャンディス・バーゲンと結婚、生涯をともにする。映画人生をとおして、ヌーベルバーグの姿勢を守り抜いた人でした。
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