わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

名女優、高峰秀子の著書「わたしの渡世日記」

2009-02-17 16:07:29 | 映画の本

Img038 往年の名女優で、エッセイストとしても有名な高峰秀子の著書「わたしの渡世日記」(上・下巻/文春文庫)を読みました。1975523日号~76514日号まで「週刊朝日」に連載されたエッセイをまとめたものです。折々の話題をつづりながら、映画女優として、一女性としての自分史の中から、女優としての足取り、近代日本の映画史、太平洋戦争をはさんでの日本の歴史や風俗の変遷が、みごとに浮かび上がります。

 高峰秀子(1924~)といえば、十代のころの山本嘉次郎監督「馬」(41年)から、木下恵介監督「女の園」(54年)、「二十四の瞳」(54年)、「喜びも悲しみも幾歳月」(57年)、夫である松山善三監督「名もなく貧しく美しく」(61年)などの名作が印象に残っています。中でも、小豆島の分教場の先生を演じた「二十四の瞳」は、とても感動的な作品でした。

 彼女は、5歳のとき、サイレント映画「母」(29年)でデビュー。以後、撮影所での忙しい日々が続く。そのため、ろくに学校に通うこともできず、彼女の学問は世間のことを目で見、耳で聞くことでつちかわれたそうです。そして、愛称デコちゃんと呼ばれ、自然体で、大監督や、画家の梅原龍三郎、作家の谷崎潤一郎、川口松太郎らと交流していきます。

 とりわけ繰り返し語られるのが、4歳のとき養母になった叔母との葛藤です。中でも、「馬」で助監督をつとめた若き日の黒澤明と恋におち、養母に仲を引き裂かれるくだりは悲しみに満ちています。そして、彼女のギャラに支えられて暮らす家族や親族によって、貧しさから抜け出せない日々。それでも彼女は、映画女優として、たゆまぬ歩みを続けました。

 高峰がやっと平穏な生活を得たのは、木下恵介の助監督だった松山善三と55年に結婚して以来だそうです。そして79年、木下恵介作品「衝動殺人/息子よ」を最後に女優業から引退。以後、夫との幸せな生活の中で名エッセイを数多く発表。女優時代は、愛らしい容貌ながら、瞳の底に毅然とした態度がうかがえたのは、苦難に満ちた人生が反映されていたからでしょう。「わたしの渡世日記」は、そんな人柄が色濃く反映された傑作評伝です。


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