E表現研究所の「Eから始まる」

E表現研究所所員の、E生活やE活動を自由に語り合うサロンです。

夏が残したもの

2016-09-04 14:43:30 | エッセイ

夏の高校野球で活躍した選手たちの代表が、
世界で戦っている。
去年は地元の選手やスター選手が何人もいて、
初めて興奮して応援していたのだけれど、
今年も地元の選手(夏の甲子園には出場していないが)が
活躍していて、すごいなあと母親の気持ちになっている。

夏といえば、
父が亡くなってまもなく3年になる。
最後の入院の時に、ベッドの横にあるテレビには、
夏の甲子園の様子が流れ、
そのときの応援ソングが大好きなコブクロの「ダイアモンド」で、
私にはすごく印象的な場面だった。
野球が大好きな父は、
息子に(私の弟)たいへんな期待をして、
「巨人の星」の父子のように、野球少年にしたかった。
小さい弟の写真はいつも、バットを構える格好で、
実は右利きの弟を、父は右側を内側にして抱き、
左の手を自由に使えるようにして左腕のピッチャーにした。
リトルリーグで期待されていた弟は、
小学校までで野球を辞めてしまった。
体力づくりのためにやっていた水泳を選び、
ジュニアオリンピックで記録を残すまでになり、
大学まで水泳選手だった。
少年野球より前に、地元で盛んだった少年サッカーもやっていて、
体が大きくてゴールキーパーをしていたけれど、
野球のためにサッカーをやめることになったとき、
監督と仲間が全員、うちに引き留めにきてくれた。
そんなときも、父は野球をやらせると頑固に断った。

父は弟が使っていた野球のユニフォームを、
長いこと捨てられずに、いつまでも大事にしていた。
私はそんな父の思いを知っていたから、
毎年、父と一緒にテレビの野球を見た。
地元の野球場で試合のあるときには家族で観戦、
私たちは子どもはピクニック気分だったけれど。

病室で高校野球を見ていた父。
あのときはまだ、父がいた。
私はそんなに野球を好きではなかったけれど、
私はいつまでも父のお気に入りでいたかった。
父が好んで観ていた、相撲だってサスペンスドラマだって一緒に観た。
父には反発したり、嫌いになったりもしたけれど、
本当に私たちのことを想っていることは知っていた・・・

夏が来ると思い出す。
あの夏が残したもの、
テレビに映る野球少年の姿をじっと見ていた横顔。
新聞を広げて読んでいた・・・
不自由になった手でも、自分でご飯を食べられた・・・
お父さんと呼べば、ろれつが回らなくても答えてくれた・・・

夏が終わるときって、せつない。

今は弟も父親となり、
息子が野球少年で、今年はキャプテンだ。
きっと喜んでるね。
お父さん。

ほりかわ