覇王の馬券密議

中央競馬の壮大な演出劇の真実・・・ターフ裏の怪人が饒舌に説き聴かせる回顧と予想

ダービーは横綱が走っていた!

2015年06月18日 20時25分35秒 | Weblog
 
 函館開催のキャッチ
 
    夏しかできない
   「こい!」をしよう。
 
 
 続々のゲストの登場だが、先ず今週末のフリーデイ。かねてフジの中継にはゲストで呼ばれていたが、この人物の登場で、愈々、わたくしは 第22回 函館スプリントステークス この〇枠を確信する。
 
 
 さらに、その先
 
  7月4、5日  デルタブルース 来場 
  7月19日   尾上松也 トークショー  
 
 
 そして、宝塚記念の週には 
 
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 オグリは、宝塚記念は期待外れながら、2着。今回、一体どう関わると云うのか。
 
 
 尾上松也とは、渋く、また畏れ入った。屋号・音羽屋、本名・井上龍一 30歳。
 将来、井上敦子は誕生するのか。
 
 今週、DAIGOの予想トークの司会が 北川久仁子 と云う人選まで凝っている。だから、「こいをしよう!」なのか。
 
 
 プリンスオブウエールズステークス この結末で、七夕賞で何処が馬券になるか見当が付くし、米子ステークスの今週の阪神 米子物産展 だが、これにもどうしても理解できないある事柄が付いてくる。これが馬券サインであることは明瞭。必然性が無いからだ。
 
 
 また御登録各位は御存知。先週、マーメイドの6枠を確信せしめたあの仕掛け。愈々今週が最後となる。どのメインの何を教えてくれるのか。
 
 
 
 ま、今週も視界良好なので、古い話。少々、お洩らししよう。
 
 
 今年のでちょうど 第82代目 となった、ダービー馬だが、かつては大相撲の横綱の方が数が多く、ダービー馬がこれを追い駆けていた。
 
 区切りの2001年の時点で、ダービー馬はこの年の ジャングルポケット が第68代。2003年3月 朝青龍の横綱昇進で、第68代横綱誕生だったから、2001年以降、横綱がダービー馬より数少ない時代が到来し、逆に追い駆けることとなった。と云うのも、ダービー馬は年に1頭、必ず誕生するが、横綱は中々誕生しないからである。もう両力士同時昇進などと云うのは夢の時代だな。
 
 で、国技とも呼ばれる、大相撲。その最高位=横綱だが、当然、ダービー馬が後からこれをなぞる、その様な演出が凝らされた。
 
 逆に、国民栄誉賞の千代の富士第58代横綱に就いたのが、1981年9月。しかし、第58代ダービー馬誕生は、1991年 トウカイテイオー 実に約10年後の出来事だった。この 1991年 ~ 2001年 この10年間で、漸くダービー馬の数が歴代横綱数に迫り、やがて2001年、21世紀初頭に逆転する。で、その拮抗時期だが、
 
 
  1995年 第62回 ダービー   タヤスツヨ  
        第62代 横綱     大乃国   昇進 1987年1月
 
  1996年 第63回 ダービー   フサイチコンコルド  田伸二
        第63代 横綱     旭富士正也  昇進 1990年9月
 
  1997年 第64回 ダービー   サニーブライアン   
        第64代 横綱     太郎    昇進 1993年3月 
 
  1998年 第65回 ダービー   スペシャルウィーク  武豊
        第65代 横綱     貴乃花光司  昇進 1995年1月
 
  1999年 第66回 ダービー   アドマイヤベガ    武豊
        第66代 横綱     若乃花勝   昇進 1998年7月
 
  2000年 第67回 ダービー   アグネスフライト   河内
        第67代 横綱     武蔵丸光  昇進 1999年7月
 
 
 これで、横綱がダービー馬に追いつかれ、第68代ダービー馬 ジャングルポケット が誕生して後、1年10ヶ月で 第68代横綱 朝青龍 遅れて登場。
 
 以降は触れる必要はあるまい。
 
 
 顕著だった、武豊の史上初ダービー連覇だが、
 
 
    武豊 ダービー連覇   = 花田兄弟 弟・貴乃花 兄・若乃花 
 
 
 この兄弟横綱誕生の揃いの映し出し。これが最大の根拠だったのだと感ずる。
 
 そもそも、1932年 第1回 ダービー馬 ワカタカ だったのだから、競馬会はこの宿命を自らに課し、世紀末のワカタカ若・貴)をターフに現出せしめたのだろう。
 
 旭富士に藤田、サニー(太陽光)で曙。鮮やかでうんざりする。
 
 
 早くも明日、出馬表。ロイヤルアスコットを見ぬ者。勝利は遠いのではないか。
 
 
 何故、このところ、ダービーで1枠時代が長らく続いてきたのか。
 
 根拠は明白だろう。不可抗力の余波だったとは言え、また今年もだった。
 2008年 2010年 と2回の 枠連 1-4 白と青 二人が揃い、拮抗していた時代の反映だったのだ。
 
 硬直した時代をわたくしも余り好まない。
 
 
 演出とは云え、また来週 ゴールドシップ に宝塚を勝たれたら、一流馬は不甲斐無いぜ。
 
 
 御登録
 
     sir_delacroix@yahoo.co.jp        まで
 
 『詳細希望』または『登録希望の件名にて、空メールを下さい。
 
 
 なでしこは、23日の対オランダ戦、27日のブラジル・オーストラリアの勝者との対戦。翌日・宝塚記念を経て、勝ち進めば、7月1日に準決勝。決勝は5日、ラジオNIKKEI賞、CBC賞当日となる。
 
 
 4年前をしっかりと憶えている。佐々木則夫監督無くば、佐々木厩舎のダービー馬キズナも無し。なでしこのイタリア語読みが ジェンティルドンナ だったと云うのが、わたくしの信念である。
 
 
 
 ふざけたことに、元竹下登首相の孫、DAIGO出演を告知した上、この人物ゆかりの縁結びの神様、出雲大社を思い併せた1頭 マーメイドの 7枠13番 パワースポット 10番人気 先週3着に突っ込ませ、これまた先駆け発射だった。
 
 
 わたくしもご縁のあった方をお幸せにする情報をお伝えするべく、奮闘する覚悟である。
 
 
 今週函館開催の初め。必ず、あの人物である。よく、考え、振り返られたら良い。
 
 無論、御登録各位には、今週情報冒頭で申し上げる。何故、枠連 〇-〇 馬番 〇番〇番 なのかも、お解かり頂けると承知している。
 
 
 少なくとも、競馬と云うフィールドに於いて、この夏の函館をこの人物抜きで語れる訳が無い。終わってからなら誰でも納得できる事柄を半歩先んじて、予め読むこと。これが結果を大きく別けるのである。
 
 
 実はあの最初の・・・
 
 
 
 トヨタ・スプリンター やばくなったなぁ。
 
 
 

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