へぇ~、流石、どちらかと云うとシーズンオフと捉えられ勝ちな夏の終わり、今月最後の2日間の開催に向け、はっきり
枠連 〇-〇 出現
これを予告する、あるサービスをJRAは施してきた。ありがたい。
解かった者だけ解かれば好いと云う類、いつもの予告法で、もらうものはもらう。
8月31日 2重賞
キーンランドカップ 新潟2歳ステークス
このどちらか、と云う可能性は高いが、先ず、土曜メインを怪しむ。
先週も、実に時節外れ。
札幌競馬場で ラジオNIKKEI&JRA60周年 記念展示
これを実施。近所の新潟でも、小倉でもない。札幌でである。
何故、7月初の福島の重賞を、8月下旬の札幌で回顧展示しなければならないのか。他にも60周年の重賞は沢山ある中でである。
そしてこの週末、一昨年のラジオNIKKEI賞 優勝 ケイアイチョウサン これを土曜新潟メイン 日本海ステークス 3番人気 で準備し、これかと思わせつつ、実際は、このメインの発走前、札幌メイン TVh賞 で、去年のラジオNIKKEI2歳ステークス2着 アズマシャトル 5番人気 で優勝させる。直後 ケイアイチョウサン 6着に沈む。
このような遣り口の相手に、こちらも調べを尽くし、前以て待ち構えるしかない。オフサイドトラップで応じるのみ。
今週の2重賞、ダイアナ妃の命日 に行われるが、思い返すこの英国の薔薇、親しまれ愛された、プリンセス・オブ・ウェールズ。
17回忌を迎える。
初来日は 1986年5月 昭和61年になるが、御夫妻揃った公式訪問だった。
振り返ると、5月8日英王室機で大阪空港に到着。初日宿泊は京都。英国教会のトップも兼ねるエリザベス女王のやがて後継たる、チャールズ皇太子が以前から深く興味を抱いていたとされる、「禅」。この学びを深められようと、京都禅宗の高僧とたっての御希望で会談遊ばされたエピソードはわたくしも伺った。二条城では裏千家宗家の御手前を楽しまれ、大阪、神戸を御観光の上、東京へ。
世間向けのクライマックスは、11日午後、青山通りに十万人の人出を集めた、真のプリンス&プリンセスのロールスロイス・オープンカーでのパレードだった。
調べると、両国では大相撲を観戦され、取組後、大乃国 小錦 を引見され、歌舞伎座では勧進帳の装束で出迎えた団十郎、菊五郎らに御ことばを掛けられ、ダイアナ妃は弁慶の装束の二代目吉右衛門を目の当たりに He is so sexy. と溜息で洩らされた、とか。皆様、日本の古典をも読まず、歌舞伎座にも足を運ばず、日本知らずで、日本競馬で勝とうなど、かなり苦し紛れでは。
13日夜9時離日。最後の行事は、豊明殿での両陛下主催・宮中晩餐会。6日間の滞在だった。
無論、この御滞在中、英王室の両殿下以上に注目すべきだったのは、
5月11日 第36回 安田記念GⅠ
優勝は、言わずもがな。 1番人気 ギャロップダイナ
前日土曜東京メイン 高尾特別 では エフテーエリザベス を2着発射させ、当日最終はその同じゼッケンで クインガーネット が勝利する。安田記念当日の裏、新潟大賞典では 9番人気 ナスノプリンス が発射し穴をあける。
競馬的には、ダイアナは 大穴 でもあったが、やはり老舗最大手ダイナ、これを冠号とする社台レースホースだった。
今見ても、実に美しい!
5月11日 午前羽田に到着の両殿下、都内青山通りをパレードの当日
府中(東京) 安田記念 7枠 9番 ギャロップダイナ 優勝
新潟 新潟大賞典 7枠 9番 ナスノプリンス 2着
こう枠ゼッケンを取り揃え、実施されたのである。ダイナ、無論 ダイアナ&プリンス 競馬場でも堂々の行進である。
夢物語だが、また来てくれないか、と溜息が出るほど。
この9番ゼッケンは、第1回 ジャパンカップ で ゴールドスペンサー が着けた9番ゼッケンと同じである。ダイアナ妃は、ダイアナ・スペンサー であり、スペンサー伯爵家の血筋の娘御。れっきとした貴族階級である。
締め、この月の終わりは 25日ダービー ダイナガリバー 優勝
『ガリバー旅行記』は勿論、スウィフトの英国民的古典。日本にも旅行し上陸するガリバーの姿が描かれる。
この年、1986年 秋の天皇賞も、英王室の別荘地の名前にして現王朝名ウインザー朝から採られた ウインザーノット 2着 国際招待競走、ジャパンカップは英国の2頭 ジュピターアイランド アレミロード のワンツー。ピゴット以降の英国を代表する名手、パット・エデリーが勝利し、調教師はブリテン厩舎。英国の国名トレーナーである。
大締、有馬記念は ダイナガリバー ギャロップダイナ ダイ(ア)ナの揃い踏みで幕を閉じる。
古い話だが、実にわたくしも、ロンドン市内で行われた、ダイアナ妃臨御のコンサートに行ったことがあり、無論、遠目ながら御姿を拝した。終演後、2階最前列ロイヤルシートのプリンセスが退場される折、ステージに向け、軽く右手を振られたチャーミングな仕草が名残る。われわれは無論、御退出を全員が見守り、息を凝らしていた態である。
実はこの、2008年以来の ダイアナ妃御命日の キーンランドカップ である。
当然、起きるべきことが起きる。17年前、パリの悲劇だった。
メインとは別に 〇番〇番 が出る。