
地元TRGはかつて鉄道で栄えた町。
東京からの「欧亜国際連絡列車」が走り、ここTRGから国際船に乗り代えウラジオストックへ。
そこからシベリア鉄道に乗ってでヨーロッパ諸国へ行く。
1912年当時の路線は「新橋駅(未だ東京駅はない)→金ケ崎駅(TRG港駅)→ウラジオストック→ヨーロッパ」
そんな旅人が降り立ち大型旅客船に乗り込んだ場所へ行ってみる。
当時の面影は当然無く、既に一日数本の貨物専用路線となって
錆びたレールが時の流れを物語る。
今から127年前の1882年に敷かれたこの鉄路も今月の3月末を持って休止へ。
現在の金ケ崎宮を背に建つ「TRG港駅」駅舎は実は本来駅舎では無かった建物。

土花吉が小さい頃には既に貨物専用駅にはなっていたけど未だプラットホームも存在し、
写真の手前側にちゃ~んと駅舎が有った記憶が残っている。
そんな「運行休止」にあわせてか「TRG鉄道資料館」が只今開催中。
早速、元鉄男の土花吉も覗いてみることに。

実はこの建物。今から数年前のTRG開港100周年記念に合わせて建てられた
自称?「TRG港駅舎」。この建物については土花吉も以前から問題視していて
「名称変更」を願い出た経緯も。
当時の初代駅舎については写真が1枚だけ残るのみの筈。
それも遠景のため建物の形すら判読し難い写真。
それを元に復元したと言うからチャンチャラ可笑しいわけで。
図面も資料写真もないのに「復元」とか「レプリカ」とか言うのも酷い話で。
地元の観光パンフレットでも堂々と「旧TRG港駅舎」と載せることに恥ずかしさを覚え
役員でもある地元「建築士会」の会合時に問題提起するも、役員の中やトップが
当時者の市役所職員と来た日にゃ~話しが噛み合わない・・・。
今から100年以上前、本当の駅舎の建築に携わった全ての人達に失礼極まりない
このパチもん駅舎の「看板」を一刻も早く降ろしてあげたいものです・・・。
そんな不快感を抱きながらも入館し見学するも又また期待外れ。
資料として価値があるものが無さ過ぎる。年表に既に見飽きた写真に説明文。
価値が有るとすれば別な意味で、この個人所有らしい「HOゲージ」の模型ぐらい。

かつて鉄道で栄えた町の「鉄道資料館」としては淋しすぎますねっ。
先日も通った京都への道のりでの滋賀県に入った頃に何故かR161から一本外れた
農道脇にたたずむ動輪の方が資料としての価値はあるかもです。

(多分、C56型にしては大きいような気がしますので大きさやスポークの形からして
C55型SLの動輪でしょうか・・・)
※そんな、「資料館」も展示資料によって価値が決まるようですが
一方、こちらの方は資料的価値はまったくと言っていいほど無いことは
承知の上、ポチポチっとクリックの程は宜しくです。
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東京からの「欧亜国際連絡列車」が走り、ここTRGから国際船に乗り代えウラジオストックへ。
そこからシベリア鉄道に乗ってでヨーロッパ諸国へ行く。
1912年当時の路線は「新橋駅(未だ東京駅はない)→金ケ崎駅(TRG港駅)→ウラジオストック→ヨーロッパ」
そんな旅人が降り立ち大型旅客船に乗り込んだ場所へ行ってみる。
当時の面影は当然無く、既に一日数本の貨物専用路線となって
錆びたレールが時の流れを物語る。
今から127年前の1882年に敷かれたこの鉄路も今月の3月末を持って休止へ。
現在の金ケ崎宮を背に建つ「TRG港駅」駅舎は実は本来駅舎では無かった建物。

土花吉が小さい頃には既に貨物専用駅にはなっていたけど未だプラットホームも存在し、
写真の手前側にちゃ~んと駅舎が有った記憶が残っている。
そんな「運行休止」にあわせてか「TRG鉄道資料館」が只今開催中。
早速、元鉄男の土花吉も覗いてみることに。

実はこの建物。今から数年前のTRG開港100周年記念に合わせて建てられた
自称?「TRG港駅舎」。この建物については土花吉も以前から問題視していて
「名称変更」を願い出た経緯も。
当時の初代駅舎については写真が1枚だけ残るのみの筈。
それも遠景のため建物の形すら判読し難い写真。
それを元に復元したと言うからチャンチャラ可笑しいわけで。
図面も資料写真もないのに「復元」とか「レプリカ」とか言うのも酷い話で。
地元の観光パンフレットでも堂々と「旧TRG港駅舎」と載せることに恥ずかしさを覚え
役員でもある地元「建築士会」の会合時に問題提起するも、役員の中やトップが
当時者の市役所職員と来た日にゃ~話しが噛み合わない・・・。
今から100年以上前、本当の駅舎の建築に携わった全ての人達に失礼極まりない
このパチもん駅舎の「看板」を一刻も早く降ろしてあげたいものです・・・。
そんな不快感を抱きながらも入館し見学するも又また期待外れ。
資料として価値があるものが無さ過ぎる。年表に既に見飽きた写真に説明文。
価値が有るとすれば別な意味で、この個人所有らしい「HOゲージ」の模型ぐらい。

かつて鉄道で栄えた町の「鉄道資料館」としては淋しすぎますねっ。
先日も通った京都への道のりでの滋賀県に入った頃に何故かR161から一本外れた
農道脇にたたずむ動輪の方が資料としての価値はあるかもです。

(多分、C56型にしては大きいような気がしますので大きさやスポークの形からして
C55型SLの動輪でしょうか・・・)
※そんな、「資料館」も展示資料によって価値が決まるようですが
一方、こちらの方は資料的価値はまったくと言っていいほど無いことは
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ばぁちゃんの そのまた ばぁちゃんくらいなら
100年位前になってしまうんじゃぁ・・・
この町?(街?)って なんでも 関心がなさ過ぎるって思うんですが。。。。
自分以外は どうでもいいや~って。
ちゃいますか~
『お宝鑑定?』とか
『お宝 拝見?』とか
ましてや
『お高く買いますよ・・・・』
なんて言ったら
絶対何か出てきそうに思いますよ。
自分のみに降りかかってこない事には
『全く無視』
恥ずかしいですが そう思います。
戦争の折 燃えた街 かもしれないけど
燃えなかった所も きっと あるはづですよねぇ。。。
土花吉みたいに悲観的に観るのはどうかとお思いでしょうが
正直、仕事柄いろんなこと(ヒト)に接しますがダメです。
昔からビジョンが無いまま進んで来てしまったツケが回って来てます。
今回、触れた「TRG港駅舎」という名称。
自動車ディラーのTVCMでスーパーが流れる度に「恥ずかしい」と思ったり。
「JARO」にお願いしようかと悩んだり。
個人で働きかけたところで、「先人を敬い現代に活かす」という
ごく普通の行為が出来ない町TRG。
畔に行く時にw
なんであんなところにポツンとあるんでしょうかねぇ?
コメントがやらかくてすんまそんw
羨ましいですよ!
1912年当時の『欧亜国際連絡列車』!
東京から欧州までの旅がどんなだったか、
当時のことを想像するだけでもわくわくしますねぇ~!!
以前から目はつけていたのですが・・・。
んで?いつユニックで取り(盗り)に行ってくれるって?
(また新聞に載れるざぁ♪)
名を刻んでません・・・。
当時は繁栄の時代。
ほんの一握りのヒト達には優雅で浪漫があって良い時代だったんでしょうねっ。
1枚目の写真の右手が港ですから、その車止めあたりで
当時を想像すると列車から降り立つ人々が右手に歩いて行く姿がぼんやり見えたりしてぇ?
長野県長野市から坂城へ向かう国道脇に
ぽつんと動輪が。
欲しいなあといつも通り過ぎるたび思うのです。
C55といえば、鉄道博物館にも1台ありましたよ
確かに欲しい♪
無煙化で廃車解体時に裏ルートで放出した動輪とか
結構、個人で持ってたりするみたいですねぇ。
不要なものがあれば直ぐに引き取りに行くのですが・・・(笑)