間もなく「3.11」から7年という歳月が経とうとしている。
福島第一の人災による災害から避難した住民にとってはあまりにも長い歳月の7年。
避難先では既にその生活に根が張り、避難解除されたところで帰還の意志は薄れ、その帰還率たるや
10%にも満たない・・・。その町に住む者といえば原発の後処理や廃炉に携わる作業員のみ。
その「廃炉」について。
私の年齢からゆくと、廃炉に至るまでの寿命は持ち合わせていないであろう。
40年だの50年だのと何の根拠もない廃炉計画を打ち出している東電や政府。
「夢の原子炉」と言われた「もんじゅ」に至っては、そもそも廃炉という前提が当初の設計で考えておらず
その方法すら無いと言われている。
「夢のような」作り話で進めて来た原子力発電。
その原子力発電所をいざ廃炉にしようとしても、それも又「夢のような話」。
「廃炉実績」など世界中、どこを探して見当たらず当然、日本にもその技術が存在すかも怪しい。
「廃炉先進国」と言われるイギリスですら、正常に運転から停止に至った小型原発の廃炉に既に20年を費やし、
この先の最終処理まで最低でも70年、計90年以上は掛かると見積もっているのが現状。
つまり、正常な原子炉の廃炉でも100年一世紀という歳月が必要であるというのに、その半分の期間で
事故原発を廃炉に出来ると、自称学者を抱える東電や政府はほざく。
原発に利権のみで関与する無能な経産省や資源エネ庁はそろそろ退場頂き、廃炉庁(省)の必要性を
唱える人も居るには居ますが、政府に属する以上あまり健全とは言えず、必ず利権というものが発生する。
「夢」で始まった原子力、一時の利権で「夢をみた者」。
事故の様子を観て、それを「悪夢」などと現実扱いせず「夢扱いする者」。
しかし、その終息も遥か彼方の「夢」であることは間違いない。。。