ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

虚無と光明と

2008-07-23 22:45:36 | 
思い起こせば僕の生涯は、虚無との戦いだったかも知れない。

虚無は、周期的に訪れる。いつの間にかすっと心の内側に忍び込み宿る。

虚無。

何もかも虚しくなる感情。富も名誉も名声も、愛情も友情も、
周りのものすべてに、何の意欲も興味も湧かなくなる。
生きることに意味を見出せなくなり死さえも興味が無くなる。

この恐るべき「無為地獄」・・・

ただただ呆けるのみ。


こんな酷い状態に陥ったこともありましたが、今はここまで重いダウンは無くなっりました。
高い山と深い谷の狭間で、一回り小さな虚無と光明の波は、結構頻繁に僕の内を貫く。
今は、その比較的浅い谷、即ち虚無の入り口に立っているような気がします。

光明。

醒めた期待。小さな希望のような心持ち。諦めの淵にある新しい感慨。
そう、まだ何十年と生きねばならない僕の人生。この世に「神」がいるのなら、
もう少し生きろと言われているような気もして。
心がこんなに暗く沈殿したまま生きても何も楽しくもうれしくも無い。
何はともあれ好きに生きればいいさ。どうせ僕の人生だ。
僕だけの時間と空間だ。楽しくうれしく生きればいいさ。それが「天主」の望み。


こんな内なる捻転のシステムにより、僕は救われてきたような気がします。
また、こんな深い谷に陥らない術として、一時期、関係するすべての人に無関心を装い、
個人主義の固い殻に閉じこもって過ごしたこともありました。
波を作らない。そう波の無い水平な心拍停止の状態に。
その無味乾燥さにも辟易し、再びありのままにリセットしてしまいました。
また「光明」に依存する日々がやってきました。


この「生命維持装置」は依然、健在なようで、まだまだ多少のダウンには耐えられそうです。
そうだよ。どうせ生きるのなら、楽しくうれしく生きなければ。

相手が、周りが笑顔であればいいけれど、少なくとも苦しげな顔をしていなければ、
僕は、安心を感じ、楽しくうれしく生きていけるかもしれません。

虚無からさっさと脱出しよう。


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