羨ましきは正直な人

2010年03月18日 | Weblog
 最近、わが佛立教育専門学校に入学する人はまぎれなく、国際化しています。
四月から入学するのは立派な施設からすれば、たった7人くらいで肩すかしのような感じがします。しかし、その中で2人が外国で生まれ、得度して日本に来ています。
 二人ともそのお父さんを私は知っていますが、いずれも教務二代目です。
一人は韓国出身で、その父は私が大阪清風寺でいっしょの時代がありました。一人は、ブラジルから来た鈴木師で、その父は私と同じ時期に、学校で学び、同室の時もありました。もう今は亡くなってしまいましたが、将来を嘱望されていた教務さんで大変残念です。ずいぶん仲良くしてもらい、ブラジル語(ポルトガル語)の片言を教えてくれました。その遺児が今度、入学というのは何か因縁を感じます。
 一般的に申しますと、外国の人は非常にご信心の面で素直正直だという感じがします。
 日本にはおかしな宗教がたくさんあり、ゴシップやスキャンダルが新聞や週刊誌にもよく載っています。また、大勢の人を殺傷した教団もあり、詐欺行為により人々からお金をだまし取っていた団体や、いかがわしい宗教などたくさんありましたし、今もあります。
 その影響だと思いますが、日本人の場合は宗教と聞くだけで拒否反応を示したり、アレルギーのように過剰な反応をすることが多々あります。ですから、信ずるかどうかというレベルではなく、信仰を勧めるというだけで、まず疑いのまなざしを向けるという所があります。
 実際、だますようなところが多いので致し方ないとは思いますが、一面、本当にこれほど不幸なことはありません。
 私たちは佛立信心が紛れもなく真実で、合理性という点でも、経典という文献を検証しても正しい教えであることが分かりますし、何よりさまざまな現証という事実を体験することができます。その具体的な現証の事例を実際に語れば、もうこれは現証ご利益としか考えられないことがたくさんあります。
 それなのに、疑う人は疑います。ありとあらゆる方面から、この教えの真実性を訴えても、その場で現証を見ていない限り、多くの日本人は疑います。
ところが、外国、たとえばスリランカでも、フィリピンでも聞いたことをまっすぐ信じて、素直に御題目を唱え、あっという間に現証体験をする方が多いのです。
 開導日扇聖人が
仏説を きいて其まゝ うたがはず 羨しきは 正直な人
と御教歌をお示しですが、現代人は騙されないよう防衛しようと思い、大事なものをひき換えに失ってしまったように思えます。
佛立信心、佛立菩薩道とは、いわば、その失われてしまった「素直正直な無垢なこころ」を取り返す心の旅路です。
(写真はブラジルの景色)
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