この3月でもう、学校などの年度が終わります。
こんなに寒い3月31日は記憶がありません。
一昨日は佛立研究所と佛立教育専門学校で共催の恒例、研究発表大会でした。
有意義な研究が発表されましたが、特に特別講演として講有、小山日誠上人の「日扇聖人全集完成に至るまでの苦労」についてのお話は、圧巻でした。
日扇聖人全集の発刊当時の昭和32、3年頃から50年にわたって編集に携わられたということで、当時から今日までの印刷業界の動向や事情、や印刷技術の移り変わり、進歩発展に精通されていて驚きました。
そういえば、約二十年前、開導日扇聖人第100回御遠諱の頃、講有上人が宗務本庁の特別局局長としてご奉公されていた折、私はそのもとで「長松日扇とその教団・上」の出版に向けて企画をするよう仰せつかりました。
その頃も、編集の手腕を発揮され、とうとう立派な本が平楽寺書店から出版刊行されました。
その手際の良さと、出版社相手に交渉をまとめる力に驚嘆しました。
私が担当したのは、もっぱら最初のうちで本の企画と、執筆者探しと依頼でした。
宗内の先生方にまず、執筆を依頼しましたが決まるまで大騒動。そして、結局、書いていただいたのは野日丞上人と当時は佛立に所属していた益田清聞氏。
東洋大の西山先生に助けていただき、宗外の学者として、恩師の平川彰先生や仏教学の田村芳朗氏、立正の高木豊氏、冠先生、それに村上重良氏、宗教学者の森山先生、中牧先生などに執筆をお願いしました。通算で何年もかかりましたが原稿を必死に集めました。でも依頼中に亡くなってしまった方も一人、二人ありました。いちばん、驚いたのは参考図書として日扇聖人全集の全巻を贈っているのに、書くことを引き受けてくれたのに、書かなかった学者さんがいたことです。
話がとんでしまいました。それはさておき、ともかく、講有上人の講演にみな、大いに拍手して、夜は同窓会を開くグループが沢山ありました。
この同窓会は佛立教育専門学校60周年を記念して、各卒業年度ごとに同窓生が集まったものです。
でも、とにかく、冷え込んだ夜でした。
そして昨日は、教務の修学塾の教員の研修会です。
いやー。この日は、疲れた1日でした。
授業を3時間ほど、受けただけでしたが。
そして、今日は朝から走り回り、御講など。
あすから四月。よっしゃーガンバります。
こんなに寒い3月31日は記憶がありません。
一昨日は佛立研究所と佛立教育専門学校で共催の恒例、研究発表大会でした。
有意義な研究が発表されましたが、特に特別講演として講有、小山日誠上人の「日扇聖人全集完成に至るまでの苦労」についてのお話は、圧巻でした。
日扇聖人全集の発刊当時の昭和32、3年頃から50年にわたって編集に携わられたということで、当時から今日までの印刷業界の動向や事情、や印刷技術の移り変わり、進歩発展に精通されていて驚きました。
そういえば、約二十年前、開導日扇聖人第100回御遠諱の頃、講有上人が宗務本庁の特別局局長としてご奉公されていた折、私はそのもとで「長松日扇とその教団・上」の出版に向けて企画をするよう仰せつかりました。
その頃も、編集の手腕を発揮され、とうとう立派な本が平楽寺書店から出版刊行されました。
その手際の良さと、出版社相手に交渉をまとめる力に驚嘆しました。
私が担当したのは、もっぱら最初のうちで本の企画と、執筆者探しと依頼でした。
宗内の先生方にまず、執筆を依頼しましたが決まるまで大騒動。そして、結局、書いていただいたのは野日丞上人と当時は佛立に所属していた益田清聞氏。
東洋大の西山先生に助けていただき、宗外の学者として、恩師の平川彰先生や仏教学の田村芳朗氏、立正の高木豊氏、冠先生、それに村上重良氏、宗教学者の森山先生、中牧先生などに執筆をお願いしました。通算で何年もかかりましたが原稿を必死に集めました。でも依頼中に亡くなってしまった方も一人、二人ありました。いちばん、驚いたのは参考図書として日扇聖人全集の全巻を贈っているのに、書くことを引き受けてくれたのに、書かなかった学者さんがいたことです。
話がとんでしまいました。それはさておき、ともかく、講有上人の講演にみな、大いに拍手して、夜は同窓会を開くグループが沢山ありました。
この同窓会は佛立教育専門学校60周年を記念して、各卒業年度ごとに同窓生が集まったものです。
でも、とにかく、冷え込んだ夜でした。
そして昨日は、教務の修学塾の教員の研修会です。
いやー。この日は、疲れた1日でした。
授業を3時間ほど、受けただけでしたが。
そして、今日は朝から走り回り、御講など。
あすから四月。よっしゃーガンバります。