明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



制作していて一番楽しいのは頭部がすでに完成していて、身体の制作に入り、乾燥させるところに持っていくまでである。乾燥後は足首から下を作る。靴を履いていれば靴を作り、細部の修正をして完成する。 楽しい部分は、盛り上がって制作する分、どう引き延ばしてもすぐに終わってしまう。要する時間は増々短くなってきている。締め切りがある場合は、ギリギリまで肝心の頭部に時間をかけられる利点はあるのだが。 河童と見つめ合う柳田國男。本作で私の独想があるとしたらこのシーンであろう。昨年からずっとこの競演シーンを手がけるのを楽しみにしていた。一つには気持ちのどこかに、柳田が盟友鏡花のこの作品を、『河童を馬鹿にしてござる』と評していたことを知っていたこともあるだろう。その分、自分勝手な河童の三郎に愛情深く接する翁として、柳田を描かなければならなかった。 それにしてもあっけなく乾燥に入ってしまった。このシーンを思いついた時、すぐK本に飲みにいってしまったことは何度か書いた。この時の私は、三国連太郎と佐藤浩市の共演を思いついた人物と同じ心持ちではなかったか?いや、多分大分違う。

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制作中の『貝の穴に河童の居る事』は泉鏡花の作品の中でもマイナーな作品である。かつて挿絵他、ビジュアル化された話を私は知らない。編集者から当初打診されたのはある海外作品であったが、食指を動かされなかった。それだったらこれはどうだろう、と私から提案したのだが、結局、あんたがやりたいといったんだから。という形になり、まんまと乗ってしまったのではないか?まあおかげで柳田國男と河童の共演をさせられ有り難いことではある。 しゃがむ柳田と、ひれ伏す河童の目線で目が合いながら、完成してしまうのが惜しい。買い物に出かける。 帰ってくるとK本横の駐車場で男がうつぶせに倒れている。『こういうバカにはもうウンザリ』。怪我したり救急車に乗るたび半べそで連絡してくるKさんにメール。 昨今の居酒屋のホッピーや酎ハイのアルコール分の薄さは噴飯物である。先日経験したことだが、酔うのと醒めるのがバランスを取ってしまい、こうなるとただの御小水の素である。K本でもそんなものばかり飲んでいる輩が、生意気にも「中だけ」などといって焼酎だけを追加。結果、腰を抜かして椅子からずり落ちている。 かつてK本は川並といった、筏職人が飲みにきていた店である。高カロリーな煮込みがご馳走で、アルコール含有量の多さがサービスだった時代から何も変わっていない。きつい肉体労働の後の癒しの一滴とばかりに、女将さんは表面張力一杯にグラスに注いだ焼酎を、確実に客のジョッキに注ぎ入れることが客のためだとひたすら信じている。これがK本である。私は注いでもらうたび、その想いに小さく頭を下げている。 帰宅後常連にメールで訊くと、不躾な若造が金は要らないからと追い出され、外で潰れているところを、危ないので客等が駐車場わきに移動したらしい。もちろんこのボロ雑巾は、二度とK本の敷居はまたげない。

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刺青を入れている最中の女性から、見学のお誘い。そんな申し出を断る根性は私にはない。筋彫りを済ませた部分がかゆいそうである。カメラを持ってお邪魔した。 かつて東京大学の標本室で、なめされ、額装されたり、立体的にトルソに縫い合わされた刺青を見た。観賞用にしかみえなかったが、生前から話をつけておいて葬儀中にペロッとやったものらしい。比べると昨今の刺青は浮世絵の勉強が足りないのであろう。特に顔が酷い。マンガみたいな弁天様など取り返しのつかない物を見かける。一方、今回お邪魔した女性の彫師『彫S』。若くして住み込みで修行したというだけあり、特に和風の古典的図柄が得意である。到着すると一仕事終わり休憩しているところであった。仕事場はマンションの一室で、フリーの歯科医とでもいった風情である。入れたばかりの箇所を見せてもらうと、太腿から腰にかけて鳳凰の図。  刺青には手彫りと機械彫りがあるが、今回は機械彫り。機械の構造としてはバイブレーターの原理であろうか。針が細かく振動する。線も突いて描く手彫りより、線描がスムースに引ける利点があるのが判る。彫S本人は手彫りが好きだそうで発色も良いという。欠点といえば時間がよりかかる。  三島由紀夫のオマージュ『男の死』は、画廊のスケジュールの三島の命日がキャンセルを知り、急遽半年前倒しにしてしまい、おかげで断念した作品に『唐獅子牡丹』がある。市ヶ谷に向かうコロナの車中、全員で陽気に唐獅子牡丹を合唱したそうだが、三島が喜びそうな死に方を。がテーマである。高倉健と池辺良の道行きよろしく、着流し姿の5人の討ち入りを考えた。背景に白のコロナも既に用意していたが、“背中で泣いてる唐獅子牡丹”を粘土製の背中に配することが、合成処理にしても現段階では無理と断念した。私はいずれ谷崎潤一郎を、誰が止めても手掛けるだろうが、(男の死は実際友情をもって止められた)『刺青』など格好の作品である。その時は『彫S』に女郎蜘蛛で協力願うことになるだろう。  鳳凰を入れた女性は痛みに強いらしく、頭の中で『ドラえもん』のテーマソングを唱えながら耐えていた。考えてみると、太腿あらわに痛みに耐えている女性を前に、というかなり非日常的光景であったが、好奇心が優先し、私は包丁研ぎやパンク修理を横で眺める子供の如しであった。彫Sは仕事ぶりを見ても好きでやっていることが伝わってきたが、はたしてどんな表情で彫っているのであろうか、目を爛々と輝かせているとしたら、その表情も撮ってみるべきであろう。 本日はなんといっても、墨をいれているそばから肌が腫れてレリーフ状に盛り上がっていくところが圧巻であった。

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昭和初期に郷土玩具を収集するブームがあったという一文を読んだ。 『貝の穴に河童の居る事』には笛吹きの芸人が出てくる。この人物、もとは麻布あたりの資産家で、郷土玩具や芸能を研究しているうち、趣味が高じて笛吹き方になった。始めて読んだ時はやや奇妙な設定のような気がしたが、鏡花が本作を発表したのが昭和6年であることを考えると、そんなブームの最中だったとしたら納得がいく。 この男が持つ郷土玩具。類似のものは東南アジアにもあるようだが、そのものは日本から姿を消してしまったようである。しかしこの玩具を入手したことが男の道楽のきっかけであり、作中手にしている場面も多く、どうしても必用なので想像で再現してみた。落語には頻繁に登場するが、旦那衆というものは“集めごと、調べごと、習いごと”に熱中するのが常である。 笛吹きの女房は踊りの師匠で、師匠仲間の娘を連れて3人で房総の海辺に遊びに来たのだが、身勝手な河童がかってにジタバタするだけで、河童に化かされても、3人は最後まで河童の存在を知らずに終わる。なぜ我々は奇妙な行動をとってしまったのだろう?と話し合う。そこでかつて郷土芸能など研究し、各地を巡っていた笛吹きがうんちくを語り、男の過去が生きてくる。さらに最後は鎮守の神様に障ってしまったに違いないと奉納の踊りを踊り、それをみた河童は人間に対する怒りが収まり大団円を迎えるのであり、踊りの素養がある芸人でなければならないだろう。 と書いていて、鹿嶋清兵衛を思い出した。大変な資産家で、しばしば写真史に顔を出す人物である。浅草の陵雲閣(十二階)を設計したバルトンに写真を習い、金にあかせて巨大な写真機を特注し、等身大もあるガラス乾板(ガラス板に感材を塗布したフィルムにあたるもの)をイギリスに発注し撮影した。受注したマリオン社より何かの間違いではないかと連絡がきた、という話も知られている。乾板の感度は低いので、屋内の撮影自体に大変な技術をようした時代に日本初の舞台写真となる劇聖、九代目市川團十郎『暫』の撮影に成功している。撮影にはおおがかりな照明が必要になる。その技術を買われた、泉鏡花作の舞台『高野聖』の花火の事故で指を失い写真を断念する。失意の清兵衛であったが、笛の名人でもあり、最後は能楽の笛吹き方になる。指を失った笛の名人というのもよくわからないが、火事で指が不自由になったギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトのような名人もいる。 そして生来の凝り性があだになり、老女の弱さを表現するため食事を断ち、それがたたって亡くなる。まさに道楽者の鏡といってよい人物である。 少々桁違いの人物ではあるが、長面という点も共通している。没年が大正14年。鏡花の頭の中に鹿嶋清兵衛のイメージがあったとしたても不思議はないだろう。

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いよいよ灯ともしの翁役の柳田國男と河童の出会いのくだりに入る。身勝手な河童の三郎に対し、いさめながらも愛情深く接する翁である。 今まで作者を主役に添えてきたので、当初は鏡花に笛吹きの役をやってもらおうと思っていた。しかし今回はダイジェストではないので、人間との共演シーンも多くなる。人形と人間を同じ場面にいれるのは、そう簡単なことではない。先日入稿したロシアの文豪と著者の共演は、前後に距離を保っており気にはならない。しかし人間3人の中に一人だけが人形となるとそうもいかない。そこに面白さがない限り、素材感の違いは違和感ばかりが残るだろう。 鏡花は主役でなく、作者として登場するだけだが、その代わりに鏡花の盟友、柳田を翁にすることを思いついた時は、すぐ飲みにいってしまったが、柳田と河童の共演の機会は、柳田に物語内の住人になってもらうしかなく、絶好の機会といえるだろう。もちろん柳田に興味がない人にはただの老人と河童であるが、幸い神主姿の柳田には無理矢理な、当てはめた感がないところも決め手となった。 見開きで両者見つめ合う。しゃがむ老人とひれ伏す愛犬のイメージである。足許までいれずに、見つめ合うところを強調するつもりでいるが、気になっていることがある。翁は足中という草履を履いている。土踏まずのあたりからかかとの部分をカットしたような履物である。かかとをあげて歩くような健康サンダル的な効果もありそうだが、そんな履物があるのを私は知らなかった。鏡花作品は脚注がつきものである。しかしせっかくの鏡花作品のビジュアル化である。表現についてはともかく、見ればわかるよう、脚注を最小限、できればなくしたいくらいである。翁の足許、特に足中の様子が判る横向きを描けるのはここしかない。

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海女  


三島由紀夫のオマージュ『男の死』の中、『潮騒または真夏の死』の制作で、海女の画像を随分作った。テーマがテーマであるから、半裸の海女は殺伐感を和らげてくれた。海女の装束は市販されているものではないようで、鳥羽の友人がかつて実際使用されていた物を探し出してくれた。そのとき使用せずに終わったカットがかなり残っている。舞台は南房総である。遠景でかまわないが、その海女を使いたくてしかたがない。そもそも私自身がロシアの文豪から河童の制作で、連休中にもかかわらず、殺伐とはいわないまでも艶はまったくないので、つい考えてしまうのである。しかしいくら考えても結論は同じ。この河童が問題である。着物姿の裾からチラリと見えるふくらはぎにヨロッとくる河童。そして娘の尻を触ろうとして、結果ケガをする。そう考えると、河童は濡れて身体に海女着が張り付いた海女のほうに目がいってしまうだろう。それは近所に住む先日63歳になった河童に聞いてみるまでもないことである。 やはり河童の目の届く場所に配するわけにはいかない。となると、漁師の若者との海辺のシーンなら可能であり、本日試作してみたが、紙面にそのカットをねじ込むスペースはすでになかった。 江戸川乱歩の『盲獣』には海女が惨殺されるシーンがある。私の初出版の『乱歩 夜の夢こそまこと』はすでに廃版であるが、今見ると稚拙に感じる。そのわざとらしさが乱歩に合っていた気もするが、今でも作りたいのを我慢している乱歩であるから、いずれ海女の出番もあるだろう。

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