昭和初期に郷土玩具を収集するブームがあったという一文を読んだ。 『貝の穴に河童の居る事』には笛吹きの芸人が出てくる。この人物、もとは麻布あたりの資産家で、郷土玩具や芸能を研究しているうち、趣味が高じて笛吹き方になった。始めて読んだ時はやや奇妙な設定のような気がしたが、鏡花が本作を発表したのが昭和6年であることを考えると、そんなブームの最中だったとしたら納得がいく。 この男が持つ郷土玩具。類似のものは東南アジアにもあるようだが、そのものは日本から姿を消してしまったようである。しかしこの玩具を入手したことが男の道楽のきっかけであり、作中手にしている場面も多く、どうしても必用なので想像で再現してみた。落語には頻繁に登場するが、旦那衆というものは“集めごと、調べごと、習いごと”に熱中するのが常である。 笛吹きの女房は踊りの師匠で、師匠仲間の娘を連れて3人で房総の海辺に遊びに来たのだが、身勝手な河童がかってにジタバタするだけで、河童に化かされても、3人は最後まで河童の存在を知らずに終わる。なぜ我々は奇妙な行動をとってしまったのだろう?と話し合う。そこでかつて郷土芸能など研究し、各地を巡っていた笛吹きがうんちくを語り、男の過去が生きてくる。さらに最後は鎮守の神様に障ってしまったに違いないと奉納の踊りを踊り、それをみた河童は人間に対する怒りが収まり大団円を迎えるのであり、踊りの素養がある芸人でなければならないだろう。 と書いていて、鹿嶋清兵衛を思い出した。大変な資産家で、しばしば写真史に顔を出す人物である。浅草の陵雲閣(十二階)を設計したバルトンに写真を習い、金にあかせて巨大な写真機を特注し、等身大もあるガラス乾板(ガラス板に感材を塗布したフィルムにあたるもの)をイギリスに発注し撮影した。受注したマリオン社より何かの間違いではないかと連絡がきた、という話も知られている。乾板の感度は低いので、屋内の撮影自体に大変な技術をようした時代に日本初の舞台写真となる劇聖、九代目市川團十郎『暫』の撮影に成功している。撮影にはおおがかりな照明が必要になる。その技術を買われた、泉鏡花作の舞台『高野聖』の花火の事故で指を失い写真を断念する。失意の清兵衛であったが、笛の名人でもあり、最後は能楽の笛吹き方になる。指を失った笛の名人というのもよくわからないが、火事で指が不自由になったギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトのような名人もいる。 そして生来の凝り性があだになり、老女の弱さを表現するため食事を断ち、それがたたって亡くなる。まさに道楽者の鏡といってよい人物である。 少々桁違いの人物ではあるが、長面という点も共通している。没年が大正14年。鏡花の頭の中に鹿嶋清兵衛のイメージがあったとしたても不思議はないだろう。
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