明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午後一時。筋彫りはすべて終わったそうで、本日よりボカシに入る。子供の頃、近所に中途半端な筋彫りから、何年経っても進展しない兄チャンがいたが、“ガマン”というだけあって、彫っている間に急用を思いだしてしまう人がいるそうである。 その点、太腿から腰にかけて鳳凰を入れている目の前の女性は、ボカシを入れている間中、携帯を観ている。見上げたものである。私は急用ならいくらでも思い出してしまう口であろう。実際は痛いそうだが、筋彫りほどではないという。 筋彫りの時は、彫っているそばから皮膚がもり上がってきたが、ぼかしはそうはならないが、墨に赤味が混じって見えるのが、彫りたてならではのことらしい。落ち着けばこの赤味は消えてしまう。筋彫りの中をぼかす時、インクが溜まった中で彫ることがある。つまり針先は見えないわけだが、筋彫りのラインからはみ出すことはない。はみ出していたら取り返しがつかないわけで当然であろうが、実際見ていると感心してしまう。 途中知人から電話がきた。音を訊かせると『床屋さん?』私は自分が墨を入れていることにしようと考えたが、ブログを観ているというので止めた。 しかし画を描くといっても色々である。私は陶芸作家を目指していた頃、湾曲した面に画を描くことを経験しているが、プヨプヨした生身の肌に描くというのは、見ると聞くとは大違いである。おまけにキャンパスが痛みに耐えているという独特の空間である。  彫Sは一門等と海外でパフォーマンスをすることもあるらしい。その際は日本調に、作務衣に雪駄でやる人もいるそうである。着物できめれば彫Sは江波杏子ばりではないか。『昇り竜のお銀』のようにさらしに片肌脱いで、日の丸を背に度肝を抜いてやればいいと思うのだが。やかましい客がいたらグレートカブキみたいに毒霧でも吐いてやればよい。それはともかく。 進むほどに良くなってくる。やはり私もそうだが、画竜点睛。最後に入れるのは目だという。

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