明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



数日前から、おそらくダウンロードしたソフトのせいでPCが起動しなくなった。セーフモードでも駄目である。しかたがないのでネットカフェから3日分をアップする。こんな時に限ってサブのノートも昇天。この理由はカッコ悪いので書かない。  メールが見られないのが問題であるが、不幸中の幸い、先日データのバックアップを3重に取ったばかりである。本職は粘土細工だ、とばかりに柳田國男に向かっている。 人物像の場合、肝腎なのは、その存在感であろう。“そこに居る感”は制作を始めた当初から大事にしてきたことかもしれない。柳田國男は首を抜き差しし、適当なところに置いて、その首が目に留まるたび『ぁ柳田國男』。と自分で作っておいて思うから、けっこう柳田國男なのではないだろうか。 この頭部は森鴎外と同じく、『中央公論Adagio』の表紙用に制作したものであるが、テーマが柳田に決まったときは、なんて嬉しく有難い仕事なんだ。と感謝したものである。 反対に仕事じゃなかったらこんなヤロー作るか、という人物がいたかどうかは忘れた。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )