結局私は自分とは何か、ということが幼い頃からの一番の関心事なのであり、伝記の類を読み漁り、人の形にばかり興味を持ち。それも男性専門。生物としての予感がそうさせたのだろう。であるから二十代の頃こそ情報誌片手に美術館、画廊など行くことはあったが、次第にどこも行かなくなってしまった。他人の頭に浮かんで制作された美術、芸術を見たところで、私とは何か?とは無関係で参考になどならない。 ところで、こんなことをいい残した人物がいる。〝衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。たった一人、ボロ小屋で野菜を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である“ どうも誰かが私に当て書きしたシナリオを書いている。確かに私が作らずして誰が作るというのか?とは思う。