昨日、芭蕉記念館で説明を受けたが、前も話しましたけど、などと言われながら聴いた。これは幼い時からのことで、いかんともし難い事だが、興味が無いものをいくら言われても右から左である。ようやく芭蕉庵も気になって見ると、同じ話が違って聴こえてくる。これはもうそういう性質なので仕方がない。 陶芸学校でトラックの運転手で金を貯めて同級生になったいくつも年上の苦労人と出会い、好きなことしかやらない私はこのままでは生きてはいけない、とさすがに考え、ロクロもない工場に就職して我慢を覚えよう、と、殊勝なことを考えたのだが、東京から遊びに来た年上の女の後輩が、これを読め、と桃源社版『澁澤龍彦集成』の一巻、エロテイシズムを持って来た。万引きしたというそれは手製のカバーがついていた。それを一読、もとの木阿弥となってしまった。向いてないことをするな、と澁澤に言われて目から鱗であったが、後年読み返して、いったい何処にそんなことが書いてあるのだ?と思ったが、“自分の使い方を間違えるな”というメッセージを明らかに受け取った。そこで人生上の道は分かれた。 そのあげくが、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける念写が理想などと言っていながら、ようやく頭の中のイメージには、陰影など無いではないか、と気が付いた。あの時は日中歩いていてスーパーの袋を落としそうになった。眉間にレンズを当てる、といいながら、外側に在るかのように表現し続けていたことに気が付いた。ドラマで葛飾北斎が西洋画を評し「見たまんま描いていやがる。」私も見たまんま作っていた。実在した人物の解釈を表現する、という行為が面白すぎて、それにかまけて、イメージに対する追求、言い換えれば、自分という物の追求がおろそかになっていた。北斎はその後、見たまんま描く方向に走り、私は見たまんま描かない方向に、遅ればせながら走っている。私の何処かが、寒山拾得位ジャンプしないとおっつかないぞ、と考えたらしい。表層の脳は、それについて行けず、未だ水槽の金魚を眺めているだけなのであった。
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