明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



篠山紀信撮影『男の死』を購入した方にメールでご意見を伺ったが、私と同じ様な印象だったようである。発売を知った時も予約する気にはなれなかったが、今のところ入手の予定はない。5カットメールで送ってもらったが、拡大して詳細を、という気にもなれず。今をさること何年前か、これは三島にウケるだろうと、いやウケるにはこれしかない、と考えたのが三島が三島好みの死に方で死んでいるところを作る事であった。いずれも“理智に犯されぬ肉の所有者”でなければならない。結果汚穢屋にまでなって貰い、さる方面から差し障りがありやしないか、という心配の声もあったが、あるとしたら三島が『彼になりたい』と書いた『仮面の告白』すら読んだことのない輩であり、三島に喜ばれこそすれ、と私は思っていた。5月にタッチの差で先に発表出来たのは三島からの褒美だと、未だに思っているが、この出版により、私の三島への想いへの介錯が、首の皮一枚残さず済んだな、と一人ごちた。 芭蕉庵に漆喰状の物を塗って見たいのだが、一面だけ塗るというのは、後から不都合が起きるかもしれず、そのままにしている。やはり、あれが足りない、かにが足りないというのが出てくるので、思い付くたびホームセンターへ。今日は屋根の下地となるベニヤを2枚カットしてもらう。2度目。これを置いたり退かしながら様子を見る。早く貼って小屋の状態を眺めたいが、屋根は最後にしないと暗くなり。中に電灯を仕込める訳もなく、展示はどうなるだろう。閉める予定の窓も開け放った方がが良いかもしれない。それにしても手に接着剤がベタベタ付いて不都合が起きるというのは子供の頃からプラモデルで良く失敗してきた馴染みのパターンである。人はそう変われるものではないようである。 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )