明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



2度も出かけながら、余計な買い物をしていて閉まってしまったりして、買いそびれた梁に使う材料をようやく入手。ついでに、寒山拾得の拾得が持っているホウキの材料も見つけた。製品臭いホウキではなく、実用としてはどうか?というくらい、ワイルドなホウキにしたかった。 今思うと、屋根をあのまま作り続けていたら様子がちょっと違っていただろう。かえって後回しになって良かった。昔、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』を制作して以来の屋根裏である。今回は、乱歩が覗いた節穴があるような天井はない。屋根裏には、なんといっても荒削りな太い梁がウネウネしていなければならない。しかし、ようやく、という気持が出たか、ウネウネし過ぎ、自然薯のようになってしまい修正する。いつになく直線ばかり扱っていると少々イライラしてくる。ようやくフリーハンドで大木を削る。真ん中を通る太い丸太に、それを背骨としたら肋骨に当たる丸太が左右に三本づつ。 予定が変わったが、明日こそ内外の壁に塗る漆喰を作ろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ようやく屋根に取り掛かる。しかし予定より材料を使い700×450ミリ2枚のうち1枚だけをとりあえず。明日は梁用の材料を買って、屋根裏の構造部分をや作るか、もしくはペインティングナイフで、漆喰の壁塗りをするか。今日の収穫は、屋根の板葺き部分の制作方法を思い付いたことである。屋根はとりあえず目につくし、中を覗けば、当然屋根裏に目が行くだろう。 日曜大工好きだった父は、サラリーマン時代イカリの設計者であった。そのせいだろう。鉛筆の芯をやたらと長く尖らせていた。私と来たら、ぶきっちょっゆえ、鉛筆をナイフで削るのが苦手で、鉛筆削り専門であった。そしてまた父とは性格か逆で雑な私である。そのシワ寄せを、最初の頃手掛けた部分を剥がし修正。鉛筆さえ尖らせておけば、シワ寄せはもう少し少なかったかもしれない。しかし私が仮に、父ほど鉛筆を尖らせる人間であったなら、形もイメージもあやふやな人間などという物をモチーフにしようなどとは絶対に考えなかったであろう。ベリベリと壁を剥がすことにはなったけれども、これでいいのだ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )