明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




屋根を残して小屋部分の骨組みできる。部品が増えるたび、強度が増すのを感じ、面白くなってきた。この調子でいくと今週中に、屋根を含めた骨組みが、すべて出来るかもしれない。江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』で屋根裏を作ったことがあるが、あの時同様、丸太をちようなで削ったような梁を作ろう。来週には床を張り、窓も作りたい。 屋根裏といえば、工芸学校を出て、岐阜の瑞浪にある製陶工場に就職した。一人暮らしの婆さんが大家の二階建ての離れに二人で住んだ。一部屋は屋根裏部屋で、太い梁が行く手を阻む、まさに屋根裏。普通はどちらが屋根裏てに住むかで揉めるものだろうが、私は当然のように屋根裏を志願。当時は写真には興味はなく、まして後に尻はしよりして、屋根裏に潜む江戸川乱歩を作るとは思わす、一枚も残っていない。 父が土日の休みに就職した息子の顔を見に来た。夜は二人してコタツに足を。っ込んで寝た。隙間から外が見え異様に寒い晩であったが、母に一緒に行かないで良かった。あまりに可哀想で連れて帰りたかった、と亡くなった父が言ったと聞いたのは最近だが、私の知っている父とは思えない台詞に本気で驚いた。しかし、この辺りが父と母の違いだが、どっちに住んでると思う?と母に聞けば”屋根裏に決まってる“と母は苦笑いだろう。そんな訳で、覗けば見える芭蕉庵の屋根裏は、羽織の裏のように力を入れてみたい。 画像処理で日本的遠近感的に背景を歪ませてもイメージ通りにならないので、最初から背景を歪ませて作ればどうだろう。その場合効果的なのは、直前的な室内の調度品や壁、障子、襖であろう。と先日書いたが、書きながら、これから芭蕉庵を作るんだよな。それが経験、布石になるのだろう。と頭の隅で。誰が絵図を書いているのか、こうやって偶然が関連付けされ、毛細血管を少しづつ伸ばすように、新たに変化をして行くのが私の通常パターンである。といいながら、なんでこうなるのか不思議である。



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