明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

人物  


最新作が一番良いと感じるのは、当然一番良い状態である。もっとも、自分でも始めてみるので珍しくもあり、新鮮なのでそう見える、ということもあろう。よってそんな浮かれ気分もたいして続かないことになる。しかし、私としては好きな作家として、一、二を争う人物だし、2度目の制作ということもあって、作っていても楽しい。久しぶりに、自分の作品と差し向かいに飲みたくなった。
今回改めて思ったことだが、私にはこの人物のこの感じ、という何か基準、ともいうべきものがあり、そこに届いていないと、頭で完成、といっていても、どこかに澱のようなものがあって、そんな時に限ってK本の常連に見せたり、友人にメールで画像を送っていたことに気付いた。自分では自慢げに見せびらかしている、とばかり思い込んでいたのだから呆れたものである。 ある人物を作ったとき、品がある、といわれた。いった本人は、良い意味でいったつもりだったかもしれないが、その人物は、人品はともかく、御面相に品があるタイプではなく、私が無意識に気になっていたのも、まさにその点だったのである。当然、作り変えられ、完成度が上がったことはいうまでもない。人の顔という物は、その人をたとえ知らず、興味が無くとも、こんな顔だなあ、と誰でもいえるものである。人の顔としていえば良いのだから、造形的、作品として、などと関係なく、たとえ酔っ払いのGさんやHさんだろうが、印象ぐらいはいえるものである。本人を知らない分、「似てる」などという面白くも可笑しくもないことはいわれない。そして私が無意識に気になっていることを誰か一言いった時は、数日後には完成度が上がることになるらしい。

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