明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝から人物の頭部を制作しながら、どんなシチュエーションで撮影するか、どこを背景にするかを考える。それによって人物のポーズまで変って来るので、早く決めなくてはならない。場所によっては撮影許可がでるまで時間がかかる場合がある。どんな場所でも影響のない、ただ立っているポーズを作っても、背景に準じた光線を人物に与えて撮影し、合成するので、先に背景が用意できないと、鴎外のように、締め切り当日に人形の撮影ということになる。せめて立っているか坐っているかは、早く決めなければならない。
夕方久しぶりに田村写真に顔を出す。以前落札してもらったニジンスキーの4×5インチプリントにようやく対面。裏にこの写真に対する、新聞記事の原稿と思しき紙が貼り付けてある。カルサヴィナ、マシーン、ニジンスキーときて、次はフォーキンあたりのプリントを入手したい。帰りに永代通りの立ち飲み屋に寄る。アルバイトの女の子に、「○○出入り禁止になったそうだけど?」「女将さんとちょっと揉めて」「しょうがねえなァ。客を出入り禁止にしている奴が出入り禁止になってりゃ世話がない」。 狭い店内にはモダンジャズが流れている。パイプや葉巻もそうだが、モダンジャズに醤油などの大豆製品は難しい。近所の古本屋も、黴臭い店内を改装したとたんモダンジャズである。どこかで修行してきた手打ち蕎麦屋の若旦那もやりがちだが、モダンジャズはお洒落ということなのだろうが、ほとんどが貧乏臭いだけである。 女の子がこの曲知ってます?というので、マイルス・デイビスの『ソー・ホワット』。というと、たちまち目を輝かし「やっと判ってくれる人がいた!」。オジサンがこれを知らないでどうする。彼女私物のCDを選んで流しているらしいが、『判ってくれた』のセリフに私が赤面しそうである。「ジャズ博士って呼んじゃおっ」といわれる前に退散した私であった。

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