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マチ弁が暇なときに,情報提供等行います。(兵庫県川西市の弁護士井上伸のブログです。)

刑事事件について思うこと

2010年03月14日 | ⑤法律問題について
私は,基本的には,刑事事件は国選弁護人と当番弁護士しかしてません。

なぜかというと,刑事弁護があまり好きではないからです。

なぜ刑事弁護が好きではないかと考えてみると,私は,悪いヤツ(私にとっては,「弱い者いじめをするヤツ」「人を傷つけることに罪悪感を感じないヤツ」「平気で人の努力を踏みにじるヤツ」等の意味かな)が大嫌いだからです。

といっても,実際には,犯罪を犯す人が全員そんなヤツばかりではなく,結構いいヤツもたくさんいます。ただ,そういう人も,精神的に幼く,人の痛みについて想像力が欠如している人が多いです。

でも,悪いヤツが嫌いなせいか,食わず嫌いでつい「刑事事件嫌い」とおもってしまうわけです。

もちろん,私もプロですから,一度受けた以上は一生懸命やります。決して手は抜いているつもりはありません。

例外的に私選の刑事事件でやるとしたら,冤罪の可能性の高い否認事件(無罪を争う事件),知り合いか知り合いからの紹介事件,その人の家族の生活等のためやらないと特にかわいそうな事件くらいでしょうか。

私選の刑事事件は,着手金が20万円~50万円,報酬もそれとほぼ同額,起訴前(捜査段階)と起訴後とそれぞれで着手金がもらえ,保釈等すると,また,着手金と報酬(各10万円~30万円)と,フルコースで行くと,手数料としてもらうお金がすぐに100万円超えたりします。
しかも,否認事件や裁判員裁判でなければ,ほとんどが2,3か月で事件が終わります。
やることは,国選の弁護人とほとんど一緒(違うのは,被疑者・被告人が「お客さん」になってしまうので,接見の回数が増えることくらいでしょうか。国選の場合,安いから手を抜く弁護士が多いという噂がありますが
,私の場合は全く一緒ですね。)
だから,私選の刑事弁護って,実は,弁護士にとって過払事件と同様「おいしい事件」と言えなくもないんです。

「そんなに刑事事件が嫌いなら,国選弁護人も当番弁護士もやらなければいいじゃん。」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし,刑事弁護は,他の業務と異なり,他の士業ではできない「ザ・弁護士」の業務なのです。
私は,国選弁護人も当番弁護士も,弁護士の使命と思っています。
私の弁護士魂からすれば,全く国選も当番もしないというわけにはいかないわけです。少なくともしばらくの間は。

それに,私は実は,兵庫県の司法修習委員として,修習生の刑事弁護の講義を受け持っているので,その意味でもやめられません。


ちなみに,今までの講義で使っていた「はじめての刑事弁護」(司法研修所刑事弁護教官室監修)というDVDの最後は,主人公の女性弁護士が「私は,刑事弁護が好きだ!!」とおいうセリフで終わるのですが,私は,そのDVDの解説講義の冒頭で,つい「私は刑事弁護は嫌いだ」と言ってしまいます(笑)。もちろん,冗談としてですが。


私のほかに,「刑事弁護をやめた,もうやりたくない。」と言っている弁護士の話をよく聞くことがあります。
話を聞いてみると「刑事事件に失望したから」という話が多いです。

確かに,自白事件でも懲りない面々を見ていると嫌になってくるし,否認事件でも,無罪の推定原則の形骸化というか刑事事実認定技術の限界を感じ,嫌になる場合もしばしばあります。


後者の話について特に述べておくと,検察官が信用できるとして法廷に出してきた証人(被告人との利害関係がその事件以外ない人)の話は,矛盾点,不合理な点,供述内容に変遷が多少あろうが,ほとんどの裁判官は信じてしまう傾向が強いです。
ほとんどの場合,見間違えがないかどうかのチェックのみで,それで見間違いさえなさそうならば,その被告人は有罪にされてしまうわけです。
その証人に実は隠れた被告人との利害関係があるとか,証人が偽証してまで被告人を無実の罪に陥れる動機を弁護側で立証しないと(単なる主張だけではダメ),なかなか,その証人は信用性がないとされて,無罪になるということはありません。
もちろん,被告人の主張する,真実のストーリーを立証できれば,その証人が信用できないとまで言えなくても,無罪にすることはできますが,真犯人や他の目撃証人が出てこないとなかなか立証できません(実際出てくることは少ないです。)。

その根底には,「被告人は刑務所に行きたくないから必死に嘘をつく。」「偽証罪や虚偽告訴罪の危険をわざわざ負ってまで,人を罪に陥れる人は普通いない。」という経験則(経験から帰納された事物に関する知識や法則のこと。裁判の事実認定は経験則を用いて行われる。)があるからだと思います。

裁判官の中には,「無実の者を処罰してはならない」という発想よりも「無罪判決はむやみに出してはいけない。そんなことをすると裁判所内の評価に響く。」という官僚的な発想の方が強い人が,(意識的か無意識的かを問わなければ)少なからずいるような気がします。
(映画「それでも僕はやっていない」にはこのことが少し触れられています。これが真実かどうかはっきりはわかりませんが,刑事事件を近くで見ている弁護士としては,「この裁判官はそういう発想なんじゃないか?」と疑うことが少なくないです。現に,司法修習の刑事裁判の判決起案で完全な無罪判決を書かせたということは,私が知る限り歴史上ありません。)

しかし,実際には,嘘をつくはずがないと思われた人が何らかの理由で嘘をついたり,ありえない勘違いをして間違った記憶を持ち,その記憶をそのまま証言することだってあるわけです。

その事実認定技術上の限界によるリスクは,被告人が負ってしまうケースがほとんどです。
その理由は,弁護人が警察・検察のような強制捜査権もないなど証拠収集能力が相対的に乏しく,事実上自説の立証が極めて困難だからです(ここにも制度的限界があるわけです。)。

その点,最高裁判所第三法廷が,平成21年4月14日に出した判決*が,「被告人が満員電車内で女性Aに対して痴漢行為をしたとされる強制わいせつ被告事件について,被告人が一貫して犯行を否認しており,Aの供述以外にこれを基礎付ける証拠がなく,被告人にこの種の犯行を行う性向もうかがわれないという事情の下では,Aの供述の信用性判断は特に慎重に行う必要がある。」旨判示したことは,事実認定の方法論について,冤罪を減らすという方向において一定の指針を示したものであり,とても評価ができます。

下級審の裁判官には,痴漢事件だけではなく,広く,証拠が供述証拠しかない事件一般においても,供述証拠の信用性判断を特に慎重に行うという運用をお願いしたいと思います。

あと,「この種の犯行を行う性向もうかがわれないという事情の下」だけではなく,「動機がはっきりしない場合」においても同様にしてほしいです(「性向」や「動機」は,証人や被告人の供述内容の信用性に関する重要な状況証拠であるから,従来の事実認定論からしても当然のことと言えば当然のことではないかと思いますが)。

また,検察官にも,冤罪は決して起訴しないという信念を持って,被害者等の証人の供述しか証拠のない事件については,安易に被害者等の証人を信じすぎず,物的証拠や事件の筋を冷静に見つめて,できる限り被疑者の「動機」等の状況証拠をも詰めてから,起訴してほしいと思います。


最後に,前述した「はじめての刑事弁護」というDVDは,教材としてだけでなく,ドラマとしてもなかなかいい出来だと思いますので,一般にも公開したらいいのになと思います。
前述の事実認定技術上の問題点を提起する素材としても使えると思います。
まあ,私は,このDVDをもう10回以上見ているので,正直もうあまりみたくないですが。



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