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あしたの私のつくり方

2013年11月15日 19時35分18秒 | 邦画2007年

 ◇あしたの私のつくり方(2007年 日本 97分)

 staff 原作/真戸香『あしたの私のつくり方』

     監督/市川準 脚本/細谷まどか 撮影/鈴木一博

     美術/山口修 衣裳/宮本まさ江 ヘアメイク/細倉明日歌

     音楽/佐々木友理 主題歌/シュノーケル『天気予報』

 cast 成海璃子 前田敦子 石原真理子 石原良純 高岡蒼佑 柄本時生 奥貫薫

 

 ◇涼月譜とはなんぞや

 主演の成海璃子の上手さはもはやいうまでもないことだけど、

 この映画で注目すべきは、

 映画デビューの前田敦子のヘアメイクを担当した細倉明日歌ではないか?

 だって、彼女たちが小学校6年生のときの雰囲気、上手に作ってあるんだもん。

 調布の日活撮影所の裏手、多摩川の土手あたりで撮影された場面も、

 小学校のクラスの中でも、図書館の中でも、とくに前田敦子のメイクは上手だった。

 彼女たちが中学生になり、高校生になっていく過程で、

 成海璃子はたしかにこれみよがしなヘアスタイルを作れるんだけど、

 ショートヘアの前田敦子はそうはいかない。

 髪型だけでなく、メイクもさぞかし苦労したんじゃないかって想像するんだよね。

 まあ、いい子でいなくちゃいけない子っていうのは、

 いつの時代のどこの地方でもいるわけで、

 とくに、田舎に行くと、この映画みたいな僻みや嫉妬や陰口は大変なものだ。

 そういうときに、

 無責任とはいわないが大人がふと口をすべらすことで悲劇が生まれる。

 教師も親も、子供をしつけ、かつ教育する立場にありながら、

 ときとして自分勝手なふるまいをしたり、好き勝手な生き方を子供におしつける。

 子供は、そういう親の子であることを運命として受け止めざるを得ず、

 そこで自分なりに生き方を考え、学校生活を送っていかなくちゃいけない。

 そういう片鱗が見え隠れしているのは、昔の日活児童映画にもあった。

 ま、もうすこしわざとらしかったから、市川準のような淡白さはない。

 いじめられていた前田敦子が、まるで夜逃げのように引っ越した後、

 成海璃子が「コトリ」という匿名で、前田敦子にメールを送り、

 どうやったら新しい学校でみんなに嫌われずに打ち解けられるか、

 さらには人気者になり、愉しい恋もできるようになるのか、

 つまり、マニュアルを伝えていきつつ、それを小説化していくんだけど、

 最初はぶしつけでおしつけられたようなメールに対して、

 徐々に依存していく前田敦子も心理もさることながら、

 ほんとの自分は嫌われないようにびくびくしているだけの存在なのに、

 なんでもわかったような感じで前田敦子にメールを送り、

 そうした日々を小説化したことで、

 自分がいじめの対象になりそうになってしまう成海璃子の心情はよくわかる。

 画面を割ったり、メールをアップにしたりする演出を、

 煩瑣と捉えるか斬新と受け止めるかは意見のあるところだろうけれど、

 ぼくはたいしたひっかかりもなく、すっきり入ってきた。

 ま、画面の作りはさておき、

 ふたりの少女の依存し依存され、やがて意識を共有してゆく過程は、

 どちらも友達がいなくて、たがいに依存しなければ辛すぎる立場にあるとはいえ、

 その関係はきわめて危なっかしい。

 成海璃子が匿名の教授でありながら、その秘密を赤裸々に小説にするというのは、

 おそろしいほどに危険な爆弾で、

 これが世間にばれ、やがて前田敦子に知れてしまったとき、

 ふたりの関係は一気に破綻し、前田敦子は以前よりもひどいイジメを受けたと感じ、

 成海璃子は善意で行った筈の行為が軽はずみな行為だったことを痛烈に恥じ、

 どうしようもない心の奈落の底まで落ちて行くことになるのは目に見えている。

 こりゃ大変な筋立てになってないか?とおもいながら観ていると、

 そこはやはり市川準で、なんともあっさりしたものだ。

 小説を掲載した文芸誌はなんの問題もなく発行されてしまうし、

 それを送られた前田敦子もなんの心の揺れもなく、机の上に並べてしまう。

 さらには、

 まあ、これは卒業式の図書館のふたりという伏線があるから自明のことなんだけど、

 前田敦子は、

 メールを送りつけてきたのが成海璃子だってことはすぐに勘付いていたみたいで、

 おしつけられた「ヒナ」という生き方ではなく、自分なりの生き方を模索するようになり、

 成海璃子は、

 メールに書いてきた「ヒナ」という少女の生き方は、

 結局のところ、自分にはできない自分の理想とする生き方だったってことを自覚し、

 前田敦子からとうとう連絡があったとき、

 自分がいかに生きたいように生きていないかという心情を吐露することで、

 なにもかもが丸く収まり、ふたりはようやく親友になれるような予感を得るという、

 なんとも、ある意味ではどんでん返しともいえるハッピーエンドが待ってる。

 こういう穏やかさが、市川準なんだろう。

 ぼくの心配してた爆弾は、ひとつも爆発せずに不発弾のまま埋められた。

 ただまあ、気になるところがないわけでもない。

 やけにリアルな担任の先生がホームルームで説明する「涼月譜」なんだけど、

 恒例のマスゲームっていわれても、これが全体像が見えなくて、

 どんなことをしてるのかわからないんだよ~。

 ラストカットの後の話だからわからなくてもいいんだけど、気になりますわな。

 気になったのは、もうひとつある。

 成海璃子が別れた父親石原良純と兄柄本時生と、

 いつもどおりの焼肉を食べる場面で、時生の席が気になって仕方がない。

 かれは左利きだから、自分の左となりには人間を置きたくないはずで、

 にもかかわらず、そこには父親が腰かけてる。

 当然、父親の右手と兄の左手がぶつかり、焼肉がとりづらくなるはずだ。

 なるほど、こういう配慮のなさが離婚の原因だったのか~ともおもえるんだけど、

 だったら、息子が席を代わってというはずじゃないかな~ともおもったりした。

 演技の上手い下手はあんまりいいたくないけど、

 主役ふたりがよくがんばってるのに比べ、うん、ちょっとまずい子もいたかな。

 ただまあ、こうした起伏があるようでなく、

 主人公に恋の話がまるで絡まないのに恋愛のアドバイスをするという、

 なんだか奇妙な筋立てになってしまっている話が、

 恋愛ばかりに興味のいっている子供たちにどんなふうに受け止められたのか、

 ぼくにはよくわからない。

 だからってわけじゃないけど、

 親が望んでる好い子を演じなければいけない子供の気持ちをわからない親は、

 この映画を観たとき、どんな感想を抱くんだろな~と。

 ていうことからすれば、もしかしたら、この作品は、

 思春期にさしかかった、あるいは思春期にある子供を持った親に向けた、

 参考資料みたいなものかもしれないね。

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