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しあわせのパン

2013年11月20日 01時32分54秒 | 邦画2011年

 ◇しあわせのパン(2011年 日本 114分)

 staff 監督・脚本/三島有紀子 撮影/瀬川龍

     美術/井上静香 衣裳デザイン/宮本まさ江 音楽/安川午朗

     フードスタイリスト/石森いづみ 吉川雅子 パン指導/高田真衣

     主題歌/矢野顕子 with 忌野清志郎『ひとつだけ』作詞作曲・矢野顕子

 cast 原田知世 大泉洋 余貴美子 平岡祐太 光石研 中村嘉葎雄 渡辺美佐子

 

 ◇かんぱいの数だけ、人は幸せになれる?

 そうじゃない場合もあるかもしれないけど、たぶん、そうなんだろう。

 ぼくは、へそまがりにできている。

 だから、素直にものを見られないし、素直にいいものはいいっていえない。

 幸せそうな笑顔にはうさんくさいものをかんぐりたくなるし、

 好い人の心の中のいろんなわだかまりやいやらしいところを覗きたくなる。

 まったく、どうしようもない性格だ。

 で、大泉洋が原田知世に、つくり笑顔をする必要はないといったとき、

「だよな~」

 とおもってしまう自分がいる。

 つまり、原田知世は心を病んでて、大泉洋が介抱してるわけだよね。

 いたわるというのは、なにもおためごかしをいうのではなく、

 共に暮らし、好きなことを好きなときに一緒にしていくことで、

 愉しい時間を共有していくことで、それが癒しにつながっていくという信念を、

 大泉洋はひたすら献身的に実践してる。

 ふたりの過去はまるで語られないけれど、

 どうやら、数回会っただけで、大泉洋はプロポーズしたらしい。

 都会で暮らしてた原田知世の身のまわりになにが起こったのか、

 くわしいことはよくわからない。

 でも、人間を信じられなくなるくらい手ひどい目に遭わされたであろうことは、

 なんとなくわかる。

 犯罪に巻き込まれたか、極度のイジメとかDVとかに見舞われたか、

 残酷で悲惨なものをまのあたりにしてしまったとか、よくわからないんだけど、

 ともかく、恋人に裏切られ、さらには親が亡くなったことで、

 心から笑うことができなくなってしまったようで、

 大泉洋はそんな原田知世のことを陰からずっと見つめてて、

 なにかのきっかけで話すようになって数回目で、プロポーズしたんだろう。

 ていうか、仕事場から強引に連れ出したんだけど、それはともかく、

 自分しかこの人を幸せにしてあげられないという決意と覚悟は相当で、

 ふたりは月浦に移住してからも、ほんとの夫婦じゃない。

 つまり、大好きになった人と共同生活をしているにもかかわらず、

 もしかしたら寝室は別々で、セックスどころかキスもせずに、

 原田知世の心が再生されていくのをじっくりと待ちながら暮らしてるんだろう。

 そんなことはなかなかできることではなくて、

 抱きしめたいとかいう衝動をおさえながら、

 美味いパンを作り、給食のパンとかも作って家計をささえなくちゃいけない大泉洋の、

 悶え苦しみ続けるさまや、葛藤や煩悶で夜も眠れないさまとか、

 もう、考えれば考えるほど、暗くて惨めで爆発したいような自我を抑える大泉洋は、

 なんだか天使のようにおもえてくるんだけど、

 実際、この天使は、パン屋にやってくる客たちにも憐憫をなげかけるんだから、

 その心の許容量はとても人間とはおもえないほどに大きいんだろう。

 なんだか、杜氏が酒を醸造していくさまに似ているとおもった。

 ぷくぷくと幸せという名の発酵が始まるのをただ黙って見てる、みたいな。

 一方、原田知世にしてみれば、

 大泉洋は最後の頼みの綱かもしれない人間なわけで、

 もしも大泉洋が倒れたり、気が変わったり、あきらめたりしちゃったら、

 その場で原田知世の心は崩壊して、死んでしまうだろう。

 だから、月浦へ移住するという決意を固めるまでは、

 もう自分で自分をおさえきれないほどの不安に苛まれたにちがいない。

 けれど、自己崩壊寸前の自分にとって、最後に勇気をふりしぼるのは、

 大泉洋にすべてを預けることだって自分をいいきかせ、都会を後にしたんだろう。

 で、つぎつぎに訪れる客たちに巡り合うわけだ。

 癒されたいのに癒されなかった人々に、

 癒しのかけらになると信じるパンをさしだすことで、

 もしかしたら癒されたかもしれないと客たちがおもうのをまのあたりにし、

 もう癒されないかもしれないと絶望する自分を癒すには、

 目の前の人を癒すことがなによりの方法なんだと本能的に自覚したとき、

 ようやく、大泉洋に心からの笑顔を向けて、乾杯ができるようになるんだよね。

 そういうふうにおもっていくと、

 どうやらこの作品は、大泉洋というひとりの男の壮絶な戦いの記録ってことになる。

 もちろん、そういう物語をリアルに描こうとおもえば、できるにちがいない。

 ていうか、その方がよほど楽だったかもしれない。

 けれど、リアリズムに徹すれば徹するほど、

 どこにでもあるような陳腐な作品になってしまいかねないという懸念はある。

 そうした懸念を、三島有紀子は承知していたんだろう、たぶん。

 だから、絵本にしたんじゃないかしら?

 パンも料理も、いや、羊も家もまわりの風物や風光もすべて、

 どこぞのレシピ本か絵葉書みたいな平坦で明るいパステル調の映像に仕上げ、

 どの場面もすべてを絵本のように作り込むことで、

 ものすごくどろどろした世界を浄化させ、童話めいた世界に作り変えるという、

 ある意味においては挑戦的な仕事に挑戦したんじゃないかしら?

 まあ、いつまでも少年のようなほんわかした表情の大泉洋と、

 いつまでも歳をとらずに少女のような笑顔ができる恐ろしい女優原田知世とが、

 うまくはまったっていうか、キャスティングの勝利のような映画だった。

 そんなふうに、ぼくは観た。

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