かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞  73

2014年02月24日 | 短歌一首鑑賞
          【愁嘆声】『寒気氾濫』(1997年)46頁
                                  参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
                                   レポーター:渡部慧子
                                  司会と記録:鹿取 未放

 ◆大雪の為、勉強会の日程を急遽変更。鈴木良明の(意見)は、事前送付のものです。


106  背中のみ見せて先行く人があり容赦なくわれはその背中見る

     (レポート)(2014年2月)
 見られていることさえ知らない無防備な背中を容赦なく見るという。行きずりの人への無礼講的行為か、あるいは軋轢のある知人への作者の真理を表しているのか、いずれであろう。みる、みられる、みあう、みかえす、などや見る、看る、視る、観る、診るとさまざまなみると思った。
(慧子)


      (意見)(2014年2月)
 人の顔や背中にその人の来歴がよく現れる。相手の顔を見ることは逆に相手から見られることでもあり、なかなかまじまじとは見ることはできない。特に日本人は、相手から見られることを強く意識する国民であり、相手の目を見ずに伏し目がちに接する人は多いだろう。〈われ〉もそのひとりで、背中であれば、見られることはないので、安心して人を観察できる。それだからこそ容赦なく背中を穿鑿してしまう人でもあるのだ。(鈴木)


      (発言)(2014年2月)
 ★私、何となくお父さんの背中かと思っていたけど、そうでもないのかな。次の次の歌にお父さ
  んが登場するので、そう思ったのかな。行きずりの人なのか、ある特定の人なのか、どうなん
  でしょうね。慧子さんの言うように軋轢のある人、父とか上司とかなのか、どうもこの歌だけ
  では特定できないように思う。やっぱり一般的な背中なんでしょうかね。(鹿取)