かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞  70

2014年02月21日 | 短歌一首鑑賞
          【愁嘆声】『寒気氾濫』(1997年)45頁
                          参加者:渡部慧子、鹿取未放、鈴木良明(紙上参加)
                           レポーター:渡部慧子
                          司会と記録:鹿取 未放

 ◆大雪の為、勉強会の日程を急遽変更。鈴木良明の(意見)は、事前送付のものです。


103 無といわず無無ともいわず黒き樹よ樹内にゾシマ長老ぞ病む

     (レポート)(2014年2月)
 ※ゾシマ長老:「カラマーゾフの兄弟」の登場人物。町の修道院の長老。慈愛に満ちた
        高徳の人物で、信者の尊敬を一身に集める。

 「ゾシマ長老」は病んでいる。それは「黒き樹」の内である。「無といわず」「無無ともいわず」は初句で切り、2句で切りながら、それは「黒き樹よ」と倒置している。しかしこれが実に効果的で、樹はもちろんゾシマ長老にもあてはめて味わえる。さらに各々は独立句であるゆえに、世界に対して「無ともいわず」「無無ともいわず」という表現になった。その「無」を①一切有の否定、どんな有もないこと。 ②有の対立者ではなく有そのものをも存在させるような、絶対的根源者 のように思うが、私にはしかとは分からない。また「無無」はものごとに行き詰まって発する「ムム」を「無無」と当てたのか。さらに「黒き樹」は何を指しているのか。ゾシマ長老が聖職者であることから、ロシア正教の組織、教理体系などを、樹に親しんでいる作者が集約的に樹にこめようとしたのか。黒は①濃い墨のような色 ②黒い色のもの ③犯罪の事実があると判定された容疑者 ④無政府主義または無政府主義の俗称 などの意味の他に、清濁をあわせ黒なる美に至るという観念もないではないが謎である。こうして疑問を重ねることでしかこの一首に近づけない。
   (慧子)


      (意見)(2014年2月)
 黒き樹は病んでいるのだろうか。「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老は、人々に慕われる修道院の長老だが、病気がちで余命幾許もない。聖者の遺体からは「芳香」がするという奇跡を人々は信じていたが、期待に反して、長老の遺体からは「腐臭」が立ちのぼる。そのようなゾシマ長老を、病んでいる黒き樹に見立てているのである。聖なるものの存在について、無(欠如)といわず、無無(欠如ではない)ともいわずは、樹内のゾシマ長老であり、聖なる黒き樹である。(鈴木)


       (記録)(2014年2月)
 ★改めてこの歌読んだら、前の歌の「神学に痩せゆきし人」はアリョーシャよりゾシマ
  長老の方がふさわしいかなあと、ふっと思いました。(鹿取)
 ★無や無無が何なのか、レポートを書いていて実は分からなかったです。(慧子)
 ★鈴木さんはこの主語を聖なるものの存在と書いていますけど、まあ神と言い換えても
  いいのかなあ。神が「無い」とも、「無いのでも無い」とも病んでいるゾシマ長老は
  言わない。無とか無無は老人のふっともらす「ム」とか「ムム」という声にならない
  声のようなものに重ねていて、そこは慧子さんと同じ解釈です。大きな黒い樹が「ム」
  とか「ムム」とか低い声を漏らしているように読んでも面白い。(鹿取)
 ★『カラマーゾフの兄弟』を読みふけって五教科で赤点をもらった、という意味のこと
  が公開されている年譜の高校時代の項に書かれているので、渡辺さんにとってゾシマ
  長老や、以前の歌に出てきたアリョーシャはとても思い入れのある人物ですよね。だ
  からおろそかには読めないので恐いのですが。(鹿取)
 ★あまり小説に立ち入っても何ですけど、ゾシマ長老の死を契機に、アリョーシャは生
  前の彼の教えを思い出して悟りのような境地に至り、感激の涙を流しながら大地に接
  吻するという場面があります。(鹿取)
 ★渡辺さんはこの歌で小説やキリスト教から少し離れて自分に引きつけているのではな
  いでしょうか。「無」と「無無」を並列させる捉え方は禅問答みたいで、仏教の「色
  即是空、空即是色」にも通うところがあるように思います。渡辺さんは哲学を学んだ
  人ですけど、東洋(ゴータマに代表されるインド哲学、老子、荘子、禅など)と西洋
  (キリスト教やニーチェ等)の融合が自然に歌の上で行われているように思います。
     (鹿取)
 ★宗教の「無」という深遠で難しい言葉を使ってますけど、深みを持たせながら音で読
  ませてユーモアを滲ませている。全体に余裕のある歌いぶりで、もしかしたら人間を
  窮屈な聖性から解き放している痛快な歌かなあとも思います。(鹿取)