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ダンスとか。

(トリのマーク) 『なにもしない農夫』

2004-02-10 | ダンスとか
吉祥寺・にじ画廊。
初めて見た。会場は小さなギャラリーの二階。画家と、奥さんらしき人の素っ気ない会話と、画家が描いた「角の生えた生き物」および農夫のやり取りという二つの世界が交錯するというもの。セリフが少なく、主に間(ま)とか仕種、アクションによって牧歌的でファンタジックな雰囲気を作り出すのだが、そういう手法にさえも「演劇」臭いそれとそうでないそれとがあって、これは前者。衣装や所作が強烈に様式化されていて、「無農薬野菜」とか「ハンドメイド家具」とか例えばそういうものを好む人々の「装われた無垢」が横溢している。「角の生えた生き物」(柳澤明子)の「目をパチクリとさせる」紋切り型なまばたきなど。そんなものは好みの問題だともいえるが、じゃあ好みの問題を超えて何か革新的なものがあるのかどうか。
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「円山応挙」展

2004-02-10 | ダンスとか
両国・江戸東京博物館。
「リアル」とかそういう驚き以前に、何もないところに線を引いて空間を彫り出してくるというセンスの確かさと、その行為の神秘に圧倒された。そこにそのような線を引けば、そのようになるのであり、そしてそれ以外では絶対にダメなのだ。氷の割れ目だけを描いた『氷図』などは、まさに筆を持つ者が自分のセンスだけで勝負しようとした結果であり、理論的な後ろ盾などないところがいかにもかっこいい。『群鶴図』が凄かったが、何気にいつまでも忘れられないのが『紙雛図』。紙の雛人形を描いた小さな絵で、図柄は単純きわまりないが、何もない空間にポツンとある一組の人形の孤立感が凄まじい。環境から隔絶して、自己完結していながら、なおもまだ俗世の方を見つめている。この画には「人形を見る」のではなく「人形に見られる」という感覚が強烈にある。超越者を描くという行為は、超越者へ向かう自己の視線を描くという行為を含んでいると思う。
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