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ダンスとか。

黒沢美香&ダンサーズ 『ダンス☆ショー』

2011-01-29 | ダンスとか
綱島ラジウム温泉 東京園(大広間)。
『クワイ河マーチ』、『ララ』、『娘』、『sing』、『スイス』(初演)、『陽のあたる馬の正しき』、『passion』、『みかん』、『mode'n dance』、『ハチャトリアン』(初演)、『男のソロ』(初演)、『死ぬほど愛して』、『クワイ河マーチ』。
本気と冗談、あるいは美と滑稽が表裏一体、背中合わせに伯仲していて、その境界線を危うく綱渡りしている感じが「ダンス☆ショー」の美徳だとすれば、温泉の大広間というふやけたシチュエーションはそういう緊張感を得るのが容易ではなく、本来かなりアウェイであるはずだと思う。シリアスになってもいわゆる美へは容易に届かず、多少ファニーであっても地がユルいために際立たない。またそもそも「ダンス☆ショー」のダンスにおいて、「表」と「裏」は無数のレイヤーに渡って存在していて、どこかがうまく裏に返っても、同時に他のどこかが裏返ればオセロのごとく表に戻されてしまうとか、たまたま表と表が鉢合わせたために両者ともが結果的に裏を演じてしまうとかいった予測不能さが常態なのだとはいっても(「不揃い」の集団であることの最大の意味はここにある)、すべてが偶然にまかされているわけでもない。というか、ダンサーの一人一人の中に計算があり、ゆえに計算不可能なものへの緊張感が漲っている場合の予測不能さと、単なる偶然の集積である予測不能さとは質的にまったく違う。確かに最近の美香ダンサーズには数年前までのような毒が欠けている。端的にいって強い悪意のある人口の比率が下がり過ぎているように思う(見た目ほどには「不揃い」でなくなっていると思う)。しかし後半のカドリーユ『mode'n dance』に至った時、にわかに本気と冗談、美と滑稽の伯仲が歴然と生じた。何がどうなって、ということは全く解きほぐせない。ただ堀江進司の過剰な真摯さ(噛み殺した冗談)と、彼とペアになった女性ダンサーのややオーバーな冗談っぽさ(純粋すぎる自己否定)とが、見たことのないイビツな化学反応を起こしていたことは間違いないだろう。リズムにのって動きポーズをとるだけで、その則にはまる折り目正しさが、同時に人を笑わせる。会場自体が奇妙な温度になっていた。こういう状態だったから、続く初演の『ハチャトリアン』で、「仮面舞踏会」のワルツがかかって女性ダンサーたちが陸続と姿を現わし始めた時、その展開に鳥肌が立った。何かただ事ならぬ感覚、単なる反復運動などではない「ダンス」を見たなと思った。「不揃い」の集団であることの意味は、計算し切れない動き(事件)の可能性、いいかえるなら(個々人の輝きなどよりもむしろ)不安定に開かれた「関係」を内に含んでいる、という点にこそあるのだ。
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『ジャライノール』(’08、チャオ・イエ監督)

2011-01-25 | ダンスとか
Jalainur, dir. by Ye Zhao

ポレポレ東中野。
明暗の強い硬質な画、大胆な構図が、寒冷地の引き締まった空気感を伝えてくる。しかし美しすぎるショットがいちいち胃に重い。あるいは、美しくありながら、しかし同時に美しさへの感覚が蒸発するような見せ方をしているように思えて(特に感興を生まない長廻しや、何ともリズムのつかめない編集)、ずっと焦点が合わせられなかった。映画じゃなくて写真だったら良かったのに、と思った。
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東京ELECTROCK STAIRS 『水平線サイコ』

2011-01-21 | ダンスとか
浅草・アサヒ・アートスクエア。
ストレートな意味での「ダンス」を否定することなしに、どうやってその向こう側へ進むのかがKENTARO!!の課題になっているとすれば、この作品はとりあえず、言葉を発したり演劇的な所作を使うことで、ダンスをダンスでないものによって相対化する、という段階にあるといえるだろう。言葉にも所作にも深い意味はなさそうで、あくまでも形式として使われているのだと思う。ダンスと非ダンスを連関させることで何がどうなるのかはまだ見えて来ていない。しかし一ついえるのは、バレエ/モダンダンスの基盤の上でこういうことをやる場合に比べ、ストリートダンスはあからさまに「ダンス」であるため、ダンスしている人とダンスしていない人とが共存していたりする時、また特にすれ違ったりする瞬間に、そのコントラストははるかに強烈であるということだ。いわゆる「コンテンポラリーダンス」でよく見かける、緊張した身体と弛緩した身体のコントラストではなく、弾性のある身体と停滞した身体のコントラスト、あるいは自動化した身体と意識にとらわれた身体のそれとでもいえばいいだろうか。9人のダンサーがとにかくよく踊っていて、一人一人の個性も鮮明に出ているから、見応えはあったし、KENTARO!!本人のソロはちょっとフォーサイスみたいな多重心に接近している感じで素晴らしかった。しかし単なる「芸能」じゃないダンスにとっては、それはゴールではなく、あくまでも創造のための資源と見なされるべきだろう。
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『その街のこども』('10、井上剛監督)

2011-01-18 | ダンスとか
恵比寿・東京都写真美術館ホール。
もともとはNHK大阪局制作のテレビドラマで、再編集して少し長くなった劇場版。いわゆる映画的な美しさからは確かに遠いのだけど、そもそもそういうこととはまるで違う次元に属している作品だと思った。夜の街を二人でずっと歩き続けるシチュエーションが、実際の街の光景よりもむしろ記憶や感情の方に比重を置きながら、15年という時間の隔たりそのものをゆっくり噛み締めることを可能にしてくれる。どこまでが演出なのかよくわからない不思議な撮り方で(役者の演技だけでなく、街の人たちもエキストラとそうでない人が混在している)、見ている側も、現実感覚と想像力(あるいは記憶)の狭間で、自分の生との向き合い方をさまざまに探らされる気がする。日々の現実から切り離された「アート」的な実験性ではなく、日々の現実の中で映像表現が持ちうる力についての思考は、映画ではなくテレビというメディアだから可能になったものなのだろう。たまたま予告映像を見かけてフラッと入ったけど、この作品に出会えて本当によかったと思う。
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「ニュー・スナップショット 日本の新進作家展vol.9 [かがやきの瞬間]」

2011-01-18 | ダンスとか
恵比寿・東京都写真美術館。
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「小谷元彦展:幽体の知覚」

2011-01-18 | ダンスとか
六本木・森美術館。
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『死なない子供、荒川修作』(’10、山中信貴監督)

2011-01-11 | ダンスとか
渋谷・ユーロスペース。
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山城知佳子 『“コロスの唄”/ “Choros of a Song”』展

2011-01-11 | ダンスとか
新宿・YUMIKO CHIBA ASSOCIATES viewing room shinjuku。
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