dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

田中泯 場踊り・場踊る

2006-12-28 | ダンスとか
中野富士見町・plan B。
自分にとって田中泯の踊りは最も「よくわからない」ものの一つで、チャンネルが合わせられないというか、普通に集中して見るための入口が見つからない。彼が一体何をやっているのかわからないままついものすごい勢いで眠くなってしまう。それでも、「わからない」ダンスに追いすがることで全然違うチャンネルが開けたという経験を過去にしているので、しつこくトライする。初めて見たplan Bでのソロは、正面に白い紙か何かが張られ、藁まみれの脚立や、古い扇風機などが置かれた空間で、大きな劇場で見る時とそう変わらない。巨大な馬の被り物をつけた田中泯が現れて、馬っぽいのかそうでもないのかよくわからない微細な仕種を緩慢かつ地味に続けるのだが、被り物(仮面)の効果で色々なもの(意味)が見え過ぎてしまって、それをよけようと意識すると、やはり何も見えなくなってしまう。斜めに横倒しに座って居る、脚立の方へ寄って行く、扇風機のスイッチを入れてそれに当たる、のだが何が展開するわけでもなく、どうしてそれをそうやったのか、やっているのか、わからない。眠くなる。やがて被り物を取って着流しになる。小さな白い花の咲いた枝を手に持って、ユルユルと不規則に右往左往する。何となく眠気が醒めるとともに、その何にも結実しないユルユルした動きを目で捕捉できるようになって来る気がした。ふとこれは「ボケ老人」みたいだなと思い、同時に土方巽のテクストと、大野一雄の姿がぼんやりと浮かんだ。「ボケ老人」だと思って、とりあえずこれを入口にして見てみようと思った頃に、服が脱がれ、鋭くて速い「ダンス」が始まってしまって、機会を取り逃がした。最後に田中泯が手に持っているのは「ぼけの花」だと言って観客を笑わせて終わった。次に田中泯を見るのが少し楽しみになってきた。
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ねねむ 『us-so ~森の巷の上の方~』

2006-12-28 | ダンスとか
麻布die pratze、昼。
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矢内原美邦 『さよなら』

2006-12-22 | ダンスとか
三軒茶屋・シアタートラム。
不覚にも遅刻してしまい、最初を少し見逃す。3シーン目の終わりの方からだとのことで、上手側の白い四角ゾーンで白いキャミソールのような衣装を着た矢内原が踊っていた。衣装がいつもと違い、作品全体もニブロールに含まれているセンチな趣味が抑制なく出てしまっているように思えた。また「独舞」といっておいてこれだけ人が出ているのは、2002年の麿赤兒『川のホトリ』に次ぐ記録ではないだろうか。とはいえ彼ら彼女らと矢内原の直接的な絡みは少なく、下手側の黒い四角ゾーンやホリ近くでの演劇的なやり取りなどが中心で、集団との対比において矢内原が「ソロ」として孤立するような図が作られている。ソロダンス自体も、靴を履いたり、プレゼントの箱を開けて服を着たり、髪を結わいたり、演劇的な動作やジェスチャーが多いのだが、手話のようなジェスチャーではない、全身を使った踊りの部分は本当に面白くて、もっともっと見たかった。何ともいえず子供みたいに見えるところが独特なのだが、それはどうしてかというと、体の外形と、動きに費やされるエネルギーとがわざとかみ合わないようにされているからだと思った。つまり、物理的にある長さをもった腕を、それとは違う尺度のもとに動かしたり、客観的には測定可能な距離を、わざと不釣合いなエネルギーを使って移動したりするので、動きが寸足らずになって不安定に揺らいだり、部位が余って伸び切らなかったりするのだ。普通舞台で「見せる」ダンスというのは、体の隅々までコントロールを行き渡らせて、伸ばすところは伸ばし、伸ばさないところは縮めて、視覚的に明瞭なフォルムを作る。ダンサーの運動エネルギーはその可視性に従属してしまう(これがイヴォンヌ・レイナーの指摘したスペクタクルの機構における身体の疎外だ)。形を整えるかわりに生きたブレをなくしてしまう。矢内原のダンスはそれをやらずに、自分のキネステシスとエネルギー本位に動く。これはいいかえれば他者の視線とその視覚像を過度に内面化しないということでもあって、さらにいいかえれば、「鏡」なしのダンスだということになるだろう。独舞という形式がどことなく古めかしく(古臭いという意味では決してない)、矢内原のダンスにそぐわない感じがするのは、それが鏡(=観客の視覚)を徹底的に内面化し切って外形(視覚像)と「内形」とでもいうべきもの(キネステシスとエネルギー)との一致に努めるべきもの、つまりは外部と内部との果てしない矛盾を求道者的に追い詰めることで高まる強度を期待すべきもの、と考えられているからではないか。ちなみに「ユニゾン」は、他者の外形を鏡とするという意味で、この「独舞」のヴァリエーションであるとも考えられる。それに対して矢内原の踊りでは、鏡の機能は著しく小さい。あくまで相対的にだが、外部に映し出される像と自己とを同一化しようとしない。そのことと、この「独舞」にたくさんのダンサーが出ていることとはつながっているように思う。互いに映し合うのではない「関係」、いわば無関係な関係が必要なのだ。これが舞台に独りになってしまうと、観客と正面から向き合ってしまう。観客は見る。その視線があまりにもダイレクトに跳ね返ってきてしまう。そのようなわけで、矢内原の「独舞」には、やはり「その他」が必要なのではないかと思った。しかしこの子供のような動きは、誰かに通じるものがあると思ったら、康本雅子だった。
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ARICA 『KIOSK』

2006-12-21 | ダンスとか
馬車道・BankART Studio NYK(NYKホール)。
10月の『PAY DAY』がベースになっていて、装置などは基本的に同じ、ただしそこに鉄割アルバトロスケットが加わる。ついこの前の「吾妻橋」で初めて見た彼らのイメージと変わりなく、遠い下手の隅のジャンクの山や「ねぐら」みたいなところからメチャクチャな格好で現れた「底辺」な感じの人々が安藤朋子の店先を営業妨害したりなぜか手伝ったりする。上手側の戸口の方へ自転車で走って行って帰って来たらワカメをびっしり運んで来たのはウケた。ワカメの投げ合いなど波乱も起きそうになるのだが、規則性を重んじるフリをすることで自律性を身にまとう安藤のパフォーマンスと、コントロール解除したフリをすることでひたすら相手に負い目を背負わせようとする鉄割メンバー(戌井昭人&奥村勲のコンビ、その他に前田真里が舞台左右の奥でずっと床掃除をしているのも異様)の間に何を起こすかは、作品としてはやはり難しい選択を迫られるところだろう。自己防御と排他性が結果として攻撃に転じる前者と、相手の攻撃性を故意に誘発することで結果的に自己防御を維持する後者、一言でいえばこういう両サイドの悲劇的な「バランス」を重視した構成・演出と思われ、その意味では相当に見事なバランスが探り当てられていると思う。鉄割が無言でちょっかいを出す、あるいは出しそうにしているのを睨みつける安藤の表情、目線のドラマティックさなどに、今までのARICAで見たことのないものがあって、そこはもっと先が見たい!と思ったのだが、「売店のおばちゃん vs. 危ない人」みたいなベタベタな図に陥ってしまいそうな、あまり本質的とはいいがたいスリルも同時にうっすら感じた。いや、やはりここはチェルフィッチュの『エンジョイ』の向こうを張って…などと勝手にあれこれ思ったりもした。安易に落としたりクライマックスに持っていったりせず、ひたすらテンションを漂わせ続けることに徹した演出が「大人」といえばそうなのだが、決定的な勝負を敬遠したといえなくもない。「商品」(水、ペットボトル)の物量が強調される終盤~ラストは、単純に、観客の注意が散漫であり続けたために、着々と進行する量の増加がインパクトを十分発揮しなかった。巨大な冷蔵庫など登場しなかった『PAY DAY』の、段ボールから延々とペットボトルが出て来た時の方が、はるかに数学的崇高を感じた。冒頭に、なかなか人間が現われないまま装置が動いたり新聞紙の塊がぶら下がって来て揺れたりという無人シークエンスが長々とあって、これが妙に興奮した。ロバート・モリスがジャドソン・コンサートでやっていたという、モノだけのダンスを連想しながら見ていた。
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アウェイ街区

2006-12-17 | ダンスとか
関内・ZAIM別館2階ホール。
▼永井美里 『Living room』
▼酒井幸菜 『Noon』
▼木野彩子 『In the room』
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勅使川原三郎 『ガラスノ牙』

2006-12-17 | ダンスとか
初台・新国立劇場(中劇場)。
36+47分。
(→『音楽舞踊新聞』にてレヴュー)
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Israel Dance Now

2006-12-16 | ダンスとか
横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール。
▼レナナ・ラズ・ダンス・グループ 『Asking for Stars』
Renana Raz Dance Group.
21分。
▼サハール・アジミ・ダンス・プロジェクト 『So said Herzel』
Sahar Azimi Dance Projects.
19分。
▼レナーナ・ラズ・ダンス・グループ 『Motel』
46分。
▼サハール・アジミ・ダンス・プロジェクト 『It is as it is』
19分。
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岡田智代 『愛の夢』(デッサン)

2006-12-16 | ダンスとか
千歳烏山・Studio GOO。
43分。
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金魚 『犬の静脈に嫉妬せず』

2006-12-14 | ダンスとか
こまばアゴラ劇場。
(→『音楽舞踊新聞』にてレヴュー)
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Noism06 「Triple Vision」

2006-12-10 | ダンスとか
ル テアトル銀座。
▼金森穣 『black ice(ver.06)』
20分。
▼大植真太郎 『solo, solo』
37分。
▼稲尾芳文/クリスティン・ヒョット・稲尾 『Siboney』
19分。
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マレビトの会 『アウトダフェ』

2006-12-08 | ダンスとか
三軒茶屋・シアタートラム。
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チェルフィッチュ 『エンジョイ』

2006-12-07 | ダンスとか
初台・新国立劇場(小劇場)。
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