La La La Human Steps, Amjad
与野本町・彩の国さいたま芸術劇場(大ホール)。
エドゥアール・ロックは根がパンクなのに、なぜこうも律儀にバレエにこだわるのか?『アメリア』(特に映像版)はバレエ的な身体のサイボーグ的再解釈の可能性を感じさせたが、今回はチャイコフスキーとかロマンチック・バレエ風の青白い照明とかいった「記号」を配置したり、誰もが知っているようなプティパの振付を「引用」として散りばめたりすること自体が目的化してしまっているかのようだ。動きの幅がグッと広がってますますエラいことになってきているだけに余計、チャイコフスキーなんてあまりに呑気で場違いに響くし、白鳥のマネとかもアホらしく見え、いったい何がやりたいの?と困惑させられること頻り。「ゴス」みたいな方向へ走るならまだしも、アフタートークで、ロマン主義時代の「オリエンタリズム」がバレエでは想像上の世界に投影されていることに関心があるとか話していたから、(仮に日本公演というシチュエーションを割り引いたとしても、)ロックもポストコロニアルその他、「表象」理論へのオブセッションに駆られているのだろうか。女が短距離で急激に加速して横に飛び出すや否や瞬時に男が引き留めるとか、ポワントで立ったままオフバランスまで傾いちゃうとか、ロックのスピード狂+曲乗り好きは変わらないけど、なにせ一つ一つのアクションが速い(=短い)から、あっという間に目が慣れてしまい、意識的に努力しないとどんどんディテールを見なくなる。でももしこの速度域で、不断の変化に緊張させられ通しのまま、油断せずに動きを追いかけ続けられたら、きっと凄いだろう。高速道路で150キロ出してても眠くなるけど、色んなものが走ってる一般道で150キロ出してたらたぶん脳内物質で頭がヘンになる。ロックは、そういう無茶苦茶なレースがしてみたくはないのか。