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ダンスとか。

黒沢美香&ダンサーズ 「家内工場」(第五回)(第三日)

2009-04-30 | ダンスとか
綱島・スタジオクロちゃん。
▼天体の島 vol.1
登場/滝口美也子、盛岡大地、木檜朱実、武藤浩史、堀江進司、黒沢美香
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『東海道四谷怪談』

2009-04-29 | ダンスとか
淵野辺・桜美林大学徳望館小劇場。
原作/鶴屋南北、構成・脚本・演出/鐘下辰男。
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黒沢美香&ダンサーズ 「家内工場」(第五回)(第二日)

2009-04-29 | ダンスとか
綱島・スタジオクロちゃん。
▼黒沢美香 『ソロ(盗聴)ダンス 昼』
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黒沢美香&ダンサーズ 「家内工場」(第五回)(第一日)

2009-04-28 | ダンスとか
綱島・スタジオクロちゃん。
▼黒沢美香 『ソロ(盗聴)ダンス 夜』
赤紫色のブラウスに同じ色のストッキング、頭にはオレンジ色と黄色をしたヘンな枝のようなものが2本刺さっていて、白塗りの顔にもオレンジ色の丸い点々がついているという格好。巨大な電気スタンドとアップライトピアノ。素明りの状態で舞台に現れ、ゆっくり体の揺れを抑えて直立姿勢を安定させていくプロセスから、すでに2本のヘンな触角の揺れがおかしくて仕方ない。というか、この触角たちの揺れが、地味な体の動き(ちょっとした位置や姿勢の変化のようなものの、乾いた断続)をアンプリファイしつつ、比較的単純な揺れのリズムへと束ねて視覚化していたり、あるいは偶数の拍子を刻むことで形なきものに形を与えていたりする。屈み込めば揺れ、寝れば揺れ、そのうち先端がギュッと床に押し付けられて、撓んで硬直したりするのも微笑ましい。そのかわり黒沢の体そのものは後景に退いてあまり見えない。四つん這いになって斜め後ろを向いたところで、丸い尻が目立ち、初めて体が見えたという印象をもった。一度長い全暗になり、スタンドに明かりが灯ると、その周囲を実に不格好な動きで経巡る。ここでやっと、ああこの格好って本気で「虫」だったのか、と気付いた。顔の点々だってよく見ると両目の上と下に規則正しく並んでいて、複眼になっている。どうも(本物の)目の視線の向きがやけに不明瞭だと思っていたのも、マスカラのせいとはいえ、意味のあることだったのかも知れない。照明の関係で触角は目立たなくなり、体が見えてくる。ジャズ・ヴォーカルが一曲流れる。しかし「虫」というイメージが明確になってしまったせいか、動きそのものになかなか惹きつけられない。とにかくこの時、触角が見たくてたまらないと思っていた。また蛍光灯が点くと、黒沢は何やら考えている風で、しかしやはり、虫としては、明るくなるとうろたえて地面にひれ伏すのであったが、ここら辺でいよいよ、虫なんかを演じている!という事態のバカバカしさが圧倒的に優勢となって、黒沢美香的なステップの人間臭いヴァーチュオジティはむしろ異物に感じたし、触角の揺れもそれ自体としては焦点とならなかった。やはり触角、今日はこれに尽きる。
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grow up! Dance プロジェクト サポートアーティスト公演

2009-04-24 | ダンスとか
浅草・アサヒ・アートスクエア。
▼石川勇太 『Time difference』
テーブルとイス、五人の若い男女。ダンスをするために演劇を使用し、演劇を避けるためにダンスを使う感じの、定型的なものとしてしか見ることができなかった。案の定、途中で大仰なトーンの「語り」が入ってくる。
▼捩子ぴじん 『sygyzy』
神村恵と福留麻里によるデュオ。巨大な木の板を福留が押して来て、反対側から神村がそれの上にドンッと乗った瞬間、吹き出してしまった。そのまま板は下がっていって、また戻って来ると、神村は仰向けに向きを変えていて、ツルッと床の上へ滑り落ちてくる。魚市場のようだ! これを交互に何度もやるのだが、ただし繰り返す意味はわからなかった。一方が木の柱を持ち、他方がその体を持ち上げて、床に立てられたもう一本の柱をコンッと倒すのも同様。物体が逡巡なく重力に従って転倒するさまは、そのあっけなさに虚を突かれるのだが、繰り返す意味がわからない。一回で十分であるようなところで、「ミニマリズム」が安易に標榜されているように思った(ちなみに「ミニマリズム」へ落とすという解決の仕方の残念さは、神村恵カンパニーの『山脈』本公演の時にもあった)。ミニマルにすると何か「凄み」のようなものを期待することは容易なのだが、どんな効果を意図しているのかがわからず、むしろ「凄む」という身振りに留まってしまっているように感じた。ところでミニマリズムとは別に、リテラリズムについては、石川作品とのコントラストによって、新しい知見を得た。照明や音響や衣装などといった装飾を排除して、即物性を露出しようとすることは、ありのままの現実の表層を剥き出しにすることではあるのだけれども、そのことがしばしば、上演行為というものの不自然さ(わざとらしさ、人為性)を消去することでもあるかのように混同される。しかし実はそれは逆で、リテラルにやるということは、上演行為の人為性を誇張するということなのだ。むしろ劇的行為のようなドラマを、上演(およびそれを見ること)のエクスキューズにするという選択が、上演行為というものの不自然さを曖昧化しようとするのに比べて、ここにはそういうエクスキューズがない。何から何まで人為的であり、だからこそそのフォーマリズムの枠組の内部で起こる「出来事」(=自然さ)に注意を集中することが許される。リテラリズムは「自然さ」のための人為的制度である。
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Ritual~Lengger×Urtyn duu

2009-04-12 | ダンスとか
表参道・EATS and MEETS Cay。
▼第一部 ジャワ古典曲
ガムラン/ガムラン・アンサンブル WASABI
▼第二部 オルティンドー
モンゴル民謡/三枝彩子、テューバ・リコーダー/関島岳郎
▼第三部 レンゲル・シントレン
レンゲル/リアント、ガムラン/ガムラン・アンサンブル WASABI
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e-dance 『春ノ祭典』

2009-04-04 | ダンスとか
京都・アトリエ劇研、夜。
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LIVESOUTH VOL.2

2009-04-04 | ダンスとか
京都・山下残アトリエ。
▼川崎歩 『マクレーン!』
▼山下残 『足を喰う犬について』
▼宮北裕美(ダンス)+ORGAN(音楽)『MANKIND』
▼OORUTAICHI(音楽)+川崎歩(ダンス)『即興と妄想』
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サイエンス・プロジェクト 『ワーマン』

2009-04-03 | ダンスとか
森下スタジオ(Cスタジオ)、昼。
監督/イェレナ・グラズマン
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