dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

CORPI ALTRI(第五日)

2007-06-27 | ダンスとか
下北沢・北沢タウンホール。
▼レ・スプリチ 『Kauma』
▼梅田宏明 『disrupt phase』
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CORPI ALTRI(第四日)

2007-06-26 | ダンスとか
下北沢・北沢タウンホール。
▼キンカレーリ 『OTTO』
Kinkaleri, OTTO.
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CORPI ALTRI(第三日)

2007-06-25 | ダンスとか
九段下・イタリア文化会館(アニェッリ・ホール)。
▼山下残 『船乗りたち』
▼MK 『TOURISM』
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CORPI ALTRI(第二日)

2007-06-24 | ダンスとか
神楽坂・セッションハウス。
▼レ・ガミ 『SP.3』
Le-gami, SP.3.
▼東野祥子&大橋可也 『9 (nine)』
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CORPI ALTRI(第一日)

2007-06-23 | ダンスとか
神楽坂・セッションハウス。
▼フランチェスカ・プロイア 『Buio, Luce, Buio』
Francesca Proia, Buio, Luce, Buio.
タイトルは『闇、光、闇』。ソロ。ひたすら下に崩れ落ち、様々な格好で倒れている状態、ないしは、止まっている状態ということをし続けているように見えるのだが、どこをどう見ればいいのかよくわからなかったというのが正直なところ。フォルム的な強度や身体的な強度がほとんど放棄されているように思われ、動きは止まっていても完全には停止していなくて、ユルいし、時たま激しく動いても体は伸び切らなくて、常に不安定に流れている。液体が床にこぼれて、そのままあるという感じに見える。顔に貼っているパックのようなものを剥がしたり、ストッキングを脱いだり、一度脱いだブラウスをまた着たりする身振りが、ほとんど素の動作に近いままいきなり挿入されたりするところなども、わからなすぎた。
▼森下真樹 『Capiron』
強烈に自己反省的なプロイアの後にこれだけ自在に動くダンスを見ると、その楽観性にかえって戸惑ってしまうが、実際どこをとっても面白いとしかいいようがない作品だった。「面白いとしかいいようがない」というのは良くも悪くもで、やろうとしていることがことごとくうまくいっていて意図など考えずに感覚で十分楽しめるのだけれども、同時に、ただ単に「面白い」ということのもつ物足りなさも感じてしまった。やはりこういうダンスを見に行く側としては、その場限りの娯楽ではなくて、見る前と見た後で自分の中に何か変化が起きるような、精神にグサッと刺さる宿題を受け取って帰りたい。実をいえば途中まで、これは「記憶」をテーマにしているのかなと考えながら見ていた。つまりまず冒頭に長い振付シークエンスがあって、これが見る側にとってスムースな流れを鋭く裏切っていくような、つまり一回ではなかなか覚えにくい動きになっていて、それが左右反転形で少しだけ繰り返される。こういうのは、記憶に基づく判別というちょっとした課題を観客に与える。中盤では、自分の体の表面を目でなぞるようにして規則的なオノマトペを唱える場面がある。全く意味をなさないのに驚くほど破綻がなく、しかも途中で体の表面にメモしてあるのではなくて暗誦しているのだということがわかり、さらにオノマトペは驚異的な速度にまで高まっていく。記憶力の強度で観客が圧倒される。だからこの二つの場面を「記憶」というテーマで自分なりに結びつけながら見ていたのだが、他に、ガムを膨らませるところから下腹部のうねりを口まで伝わらせて唇を振動させるところとか、空間いっぱいにシャボン玉が舞う中を踊るラストとか、全体を貫いているといえるようなコンセプトはどうしても見えて来なくて、にもかかわらず個々の場面の面白さはそれぞれに否定しようがなく、困ってしまった。
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『大日本人』('07、松本人志監督)

2007-06-11 | ダンスとか
新宿・シネマスクエアとうきゅう。
いかにも「余計な要素を削ぎ落とした」といわんばかりの固定画面や長回しが、どうしてこうも白々しく見えてしまうのか不思議なくらいで、しばらくはその頼りない不安定感に身を委ねてみようと思っていたのだが、どうしてもここには何も見つからない。無頓着に投げ出したようなフレームが、ものを見たり映したりすることの楽しみでもって生気づけられ、緊張(張り)と弛緩(ユルみ)とが相互に高め合って画面の味を濃くしていくというような、ごくありふれた効果をいやらしく狙っている印象を受けてしまう。特にドラマが始まる前の序盤は、格好の付きようもない生活感や日常風景をあられもなくぶっちゃけているように見えながら、いちいちディテールが押し付けがましく主張してくる。なぜかマシュー・バーニーが日本で撮影した『拘束のドローイング』が思い出されたのだが、つまり自分にとって見慣れているもののディテールの浮き立ち方が似ているのだと思う。ただしバーニーのカメラが、見知らぬ空間に身を置きながらエキゾチックな被写体や光景を嬉々として、極端に力んで見て、写しているせいで、我々にとってはその意気込みゆえの脇の甘さとでもいったらいいのか、絞り込んだ焦点の外に広がっている部分(我々には見えるがバーニーには見えていない)に対する無防備さ、無邪気さが、退屈な画面にかえって予想外のディテールを呼び込んでいるように思えたのに対し、松本のカメラが画面に映し出すものはことごとく計算され、予め見るべきディテールとして指定されていて、見る楽しみがない。画面が硬直しているのは、演技のまずさにも通じていて、松本の家の窓が割られる瞬間が、唐突ゆえにショッキングではありながら、そのショックがすぐに画面内で酷薄な無感動として立ち上がるのではなく、見る者を単純に映画に対してシラけさせる感じへと蒸発してしまうのは、松本のリアクション(の無さ)があまりにも見え透いていてリズムを欠いているからだと思う。リズムのなさは、CGの格闘場面でますます著しく、個々の被写体の動きが遅いとか速いとかいった以前に、画面が全く動きを感じさせない。なぜ自分が松本人志の映画に何らかの期待を抱いたのだろうと考えてみると、やはり北野武がいたからに違いなく、しかしこの映画はむしろ、もう『ソナチネ』を撮ってしまった後の北野に似ていた。
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ピッポ・デルボノ・カンパニー 『沈黙』

2007-06-09 | ダンスとか
Compagnia Pippo Delbono, Il Silenzio.
東静岡・舞台芸術公園 野外劇場「有度」。
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ピッポ・デルボノ・カンパニー 『戦争』

2007-06-09 | ダンスとか
Compagnia Pippo Delbono, Guerra.
東静岡・静岡芸術劇場。
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パスカル・ランベール 『愛のはじまり』

2007-06-08 | ダンスとか
Pascal Rambert, Le Debut de l'A.
こまばアゴラ劇場。
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寺田みさこ 『愛音 -AION-』

2007-06-03 | ダンスとか
三軒茶屋・シアタートラム。
美術を高嶺格が担当しているのだが、コンセプトにも相当関わっている気がする。機械(スタンドマイクや上空の泡製造マシン)から泡がエロティックに溢れてきたり、貧相な透明ゴミ袋から立派な毛皮の衣装が出てきたりしつつ、バレリーナが風俗嬢になって泡まみれでもがき回る、など。しかしこの舞台はあまりにもディテールを欠いている。一方に「機械的なもの」、さもなくば「形なき、流動的なもの」という記号が並列されているばかりに思え、両者がいかにもインモラルな感じで衝突する時すら、事件性を帯びることなくただちに「インモラル」「衝突」の記号に落ちてしまう。冒頭の指しゃぶりなどは、あまりに執拗なので気味悪く思えて来もするのだが、普通に生き物が「機械的」な反復運動に没頭する時というのはこんな程度じゃなく、もっと狂気じみている。カブトムシの交尾を観察した方が良い。ダンスは、やっているうちに「欲望」がモクモク育ってくるような行為であってほしいと思う。
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