dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

DANCE BOX GO EAST!!

2008-11-30 | ダンスとか
横浜・STスポット。
▼sonno(TEN+山口智美) 『a la notte』
▼野田まどか 『生のっ!』
▼ユン・ミョンフィ 『ドブラ vol.2』
▼花沙 『tefu-tefu』
▼山田知美 『駄駄』
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アンサンブル・ゾネ 『Still Moving』

2008-11-29 | ダンスとか
両国・シアターX。
前作は録音だけだったが今回は高瀬アキがライヴ演奏で参加。とてつもなくパワフルで、しかも素晴らしい演奏だったが、このピアノとアンサンブル・ゾネのダンスがどんな関わりを持てるのかは見えなかった。15人というダンサーの数のみならず、動きも力感を強調したものが多く、代わりにいつものゾネの踊りの繊細さ(見る者の皮膚感覚や聴覚を触発してくるような)は手放されていた。力んだ動きや姿勢が何とも古色蒼然とした「モダンダンス」を想起させてしまうのだが、そうした既存のイメージ(以前のゾネのそれも含め)に捉われずにこの新しい試みを直視しようと努力はした。
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シュツットガルト・バレエ団/ジョン・クランコ 『オネーギン』

2008-11-28 | ダンスとか
Stuttgarter Ballett / John Cranko, Onegin

上野・東京文化会館(大ホール)。
オネーギン/イリ・イェリネク(Jiri Jelinek)、レンスキー/フリーデマン・フォーゲル(Friedemann Vogel)、タチヤーナ/アリシア・アマトリアン(Alicia Amatriain)、オリガ/カーチャ・ヴュンシュ(Katja Wuensche)、グレーミン公爵/ダミアーノ・ペテネッラ(Damiano Pettenella)
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ニブロール 『Small Island』

2008-11-24 | ダンスとか
日本大通り・ZAIM(4階各所)、夜。
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ナチョ・ドゥアト スペイン国立ダンスカンパニー 『ロミオとジュリエット』

2008-11-24 | ダンスとか
Nacho Duato/Compania Nacional de Danza, Romeo y Julieta

与野本町・彩の国さいたま芸術劇場(大ホール)。
ここまで退屈なロミジュリを作ってしまえるなんて、やっぱりドゥアトが好きだと思った。だいたいダンスと物語なんていうものは、必然的なつながりがない。ドゥアトの面白さは、過剰に折れ曲がり、あさっての方向へ伸びていく奔放な動きの音楽性で、そういうものは、物語のフォルムを脅かしこそすれ強化することはないはずだろう。物語は「人間」中心の恣意に基づく産物だが、音楽は単なる力学(物理学)の産物であり、そもそもドゥアトのダンスでは体の動き自体が十分に語るので「人間」などの出る幕ではない(プロコフィエフの音楽がいかに物語を進めるために進む音楽であるかが丸出しになってしまっていて悲しかった)。ダンスが、常識的な人間のありようから逸脱していく運動だとすれば、そのドゥアト的な瞬間は、この信じがたいほど中身のないバルコニーのパ・ド・ドゥの中で、ロミオがジュリエットの両腕ではなく右腕と右脚をつかんでジャイアント・スイングする(正確にはリフトからゆったりと螺旋を描いて緩慢に着地する)辺りにかろうじて見える。ドゥアトは、縦に長い人間の体が遠心力で引き伸ばされようという時に、それを上/下半身(縦に)ではなく左/右半身に(横に)分割する。すごい。そこに音楽的=非人間的な必然があるとも決して思えなかったとはいえ、このインパクトに比べれば物語的=人間的な尺度に体を従わせようとするこの作品の総体的な不毛さは納得される。とにかく人物のパーソナリティが全く見えてこない。ドゥアトは、非人間的であることにかけて徹底している人なのだと思った。マキューシオが刺された瞬間の機械的な180度アングル変化や、その後のよろめいたかと思えばいきなりスタスタ歩き出す異様な演技、さらにラスト近くでロミオが群衆にダイヴするパンクな行為の奇矯さを付け加えてもいいかも知れない。ちなみに10年も前の作品だが、今まで見たことある中ではむしろ新しい方だった。Jardi Tancat も Na Floresta も Por Vos Muero も Duende も Arenal も Remansos も全部これより前。
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『友達』

2008-11-14 | ダンスとか
三軒茶屋・シアタートラム。
作/安部公房、演出/岡田利規
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『沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー』('71/'08)

2008-11-11 | ダンスとか
ドキュメンタリー・ドリーム・ショー――山形 in 東京 2008

ポレポレ東中野。
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雅楽のふるさとを訪ねて~唐・高麗の舞人 東京に舞う

2008-11-08 | ダンスとか
目黒・学習院創立百周年記念会館(正堂)。
▼越天楽
▼唐楽舞楽 蘭陵王
▼高麗楽舞楽 納曾利急
▼舞楽 還城楽
▼太食調 長慶子
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モレキュラーシアター 『ILLUMIOLE ILLUCIOLE』

2008-11-07 | ダンスとか
月島・TEMPORARY CONTEMPORARY。
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「踊りに行くぜ!! Vol.9」前橋公演

2008-11-03 | ダンスとか
前橋プラザ元気21。
▼Abe"M"ARIA 『―――』
▼きたむらしげみとまえばしのおどるこどもたち 『おどるこどもたちどおる』
▼百田彩乃・高山力造 『spare』
▼金魚 『沈黙とはかりあえるほどに』
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ヨシコ・チュウマ&スクール・オブ・ハードノックス

2008-11-02 | ダンスとか
『プーナルク 失われた1ページ―映画でないルーマニア―』

Yoshiko Chuma & The School of Hard Knocks, POONARC:A Page Out of Order Not about Romanian Cinema

森下スタジオ(Cスタジオ)、夜。
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横浜トリエンナーレ2008/ジェローム・ベル 『ピチェ・クランチェンと私』

2008-11-02 | ダンスとか
Jerome Bel, Pichet Klunchun and Myself

馬車道・横浜赤レンガ倉庫1号館3階ホール。
三日前にジャカルタで見たのだが観客の反応が見たくて出かけた。観客がパフォーマンスの性質を大きく左右する作品だということは、とんでもなく盛り上がったジャカルタでよくわかったし、どんよりと終わった横浜でもよくわかった。二人とも英語ネイティヴではないのに、観客に対してはイヤフォンによる同時通訳が入ったのは、台湾公演に次いで二回目とのこと。日本の主催者側の判断ではなくジェローム・ベルの判断らしいが、ほとんどナンセンスでしかなかった。特にこんな講演会みたいな「ですます」調では…。同時通訳が入っているというだけで、パフォーマンスする側の意識も相当に観客から離れていたのだろう、覇気がまったく感じられなかった。ジェローム・ベルの超話題作がこんなコンディションで上演されてしまうということ、そしてそれによって何よりも目の前の「他者」にさえあっけなく出会い損ねてしまうということ……しかしこれが日本という場所の「現実」なのだし、その現実が「現実」として認識もされなければ議論もされないということもまた日本という場所の現実なのだから、それはもう「現実」とすらいえず、むしろ「夢」というべきなのかも知れない。いつまで続くのか。
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