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ダンスとか。

地点 『トラディシオン/トライゾン』

2011-08-31 | ダンスとか
三軒茶屋・シアタートラム。
テクスト/ジャン・ジュネ、翻訳・構成/宇野邦一、監修/三浦基
出演/安部聡子、山田せつ子

BankART NYKで見た時は言葉の響きと体の動きが何か重厚な関係を築きそうな気配がしたので、期待していたのだけど、今回はどちらもが生まれるそばから蒸発してしまう感じがした。両者が絡まず、入れ替わって交互にやっていたのが一番大きな違いだろうか。後半のトークは宇野邦一、三浦基、鵜飼哲。上演もトークも、研究会的なノリを抜け出すつもりがないのであれば、それはそれで良いと思うけど、そういうことをやれる空間をしっかり選択したり、場を作ったりすることについては、もっと意識的にやれるはずだと思う。パブリックなのか、プライヴェートなのか、その度合について地点は独自のバランスを取ろうとしているように見える(既存のパターンにはまってない)のだけど、どう受け止めたら地点のやっていることのインパクトが自分にとってもっと大きくなるのか、ぼくにはずっとわからない。
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月下氷身~世阿弥<融>のヴァリエーション

2011-08-26 | ダンスとか
渋谷・セルリアンタワー能楽堂。
▼袴能 『融』(シテ/塩津哲生、ワキ/宝生閑)
▼勅使川原三郎 『水銀の月』
能は「袴能」という、踊りだと「素踊り」にあたる形式で、勅使川原三郎の方は能舞台で地歌。しかもホテルの地下にある能舞台なんていう、何から何まで奇抜な公演だった。袴能っていうのは知らなかったけど、面も衣装も付けないことの特殊さは、観客よりむしろ演者の方に影響が大きいんじゃないかと思った。とにかくシテもワキもすごく体が震えていてビックリした。衣装の重さがないから? 勅使川原三郎は三味線も箏も盲目の奏者を指定したようだったが、三味線のハネるリズムに乗って体の動きが日本舞踊みたいになる瞬間が何度もあった。間の取り方(事後的にはおぼろげにしか思い出せない…)だけでなく、手の所作なんかが、女形みたいなジェスチャーとなって泳ぐ。下半身というか重心を激しく動かさない代わりに、普段とは違うジャンルの動きが侵入してきて体も意識も引き裂かれているみたいに見えた。実験的ではあるが、何らかの意味生産につながっている感じでもなく、観客としては「変わったものを見た」という以上の感想がない。何であれ、やれば実験くらいにはなるだろうけど、これはいったい何の実験なんだろう。どうして能舞台なのか? どうして地歌なのか?
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平田オリザ+石黒浩研究室 アンドロイド演劇 『さようなら』

2011-08-11 | ダンスとか
大阪・大阪大学豊中キャンパス(21世紀懐徳堂スタジオ)、17:40の回。
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KAAT STREET DANCE FESTIVAL / HIP HOP GALA

2011-08-06 | ダンスとか
日本大通り・神奈川芸術劇場(ホール)、夜。
▼Jane Sekony 『SPOTI』
▼LAST FOR ONE & GAMBLER CREW 『FLY UP』
▼Compagnie Kafig 『CORRERIA』
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KAAT STREET DANCE FESTIVAL / HIP HOP GALA

2011-08-06 | ダンスとか
日本大通り・神奈川芸術劇場(ホール)、昼。
▼Jane Sekony 『SPOTI』
▼LAST FOR ONE & GAMBLER CREW 『FLY UP』
▼Compagnie Kafig 『AGWA』
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