dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

『迷子の警察音楽隊』('07、エラン・コリリン監督)

2008-01-28 | ダンスとか
シネ・リーブル梅田。
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BABY-Q 『私はそそられる』

2008-01-27 | ダンスとか
中宮・大阪市立芸術創造館、昼。
東野祥子はどんどん巧い演出家になってきている。ダンステクニックを身につけた出演者が多く集まっているものの、振付の面白さよりも演出の面白さ。巨大な顔が映し出されたカーテンが落ちると、いきなり性別不詳の大柄な人物が佇んでおり、その周囲に、逆光とスモークの中を女たちが跳ね回るという冒頭から、アッ、と引きずり込まれてしまう。全体にデヴィッド・リンチっぽすぎるのが気になるといえばなるのだが(『インランドエンパイア』と『マルホランドドライヴ』)、ベッドや鏡、女性の集団、男性の集団、性別不詳の人物、そして東野のソロなど、限られた量の要素がヴァリエーションを伴いつつ世界観を見せていく構成に緊張感がずっと持続する。女性の集団に対して男性の集団が暴力を振るっているらしき光景が舞台奥の空間からのぞき見えたり、プロジェクターの文字が鏡を経由して反転したまま動き回ったり、演劇的なナラティヴがギリギリのところまで仄めかされたり、ダンスでは例外的ともいえるほど演出のアイディアは豊富で、なるほど、そんなこともできるのか、などと思いながら見ていた。唐突にウサギの着ぐるみと、酔っ払いのサラリーマンみたいなのが出てくる場面も、数年前の作品だったらたちまち空中分解していたと思うが、ここではシリアスな流れに挿入された異物としての効果を見事に生んでいる。東野のソロは主に二箇所。個人的には東野の踊りに引っかかったことはなかったのだけれども、中盤過ぎ、片足をスコンと払った瞬間に後からピアノの音が入って、バレエを基調とした固く壮絶な踊りが始まり、これは凄いダンサーがいるぞと思ってよく見たら東野だった。シャープな長い線で周囲を激しく切り裂きながら、危うく崩れかけるバランスで渡り歩いていく、新境地。演劇的な演出を排除した抽象的なソロダンスを見てみたい気がする。
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日本昔ばなしのダンス

2008-01-20 | ダンスとか
与野本町・彩の国さいたま芸術劇場(小ホール)、夕方の回。
▼井手茂太 『かみなりむすめ』
出演/康本雅子、井手茂太
▼康本雅子 『さんねんねたろう』
出演/井手茂太、康本雅子
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プロト・シアター ワーク スタジオ 試演会 『呑・奇放亭』

2008-01-19 | ダンスとか
高田馬場・プロト・シアター。
構成・演出/大橋宏
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指輪ホテル EXCHANGE_autotype/川口隆夫 『グッド・ラック』

2008-01-19 | ダンスとか
新百合ヶ丘・川崎市アートセンター(アルテリオ小劇場)。
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ニブロール 『ロミオORジュリエット』

2008-01-18 | ダンスとか
三軒茶屋・世田谷パブリックシアター。
とにかく音が良い。良過ぎた。スピーカーの数が相当なものだし、あちこちから音が聞こえてきたりもして、興奮させられ通しでいると、脳が疲れるのか、舞台の方はいつも以上に冷静に見れてしまう。紗幕を使って、映像のレイヤーが出来ていたり、凄いのだけど、ダンスに限っていえばスピード感がまるでない。スピード感というのは、ニブロールの場合、移動速度のことではなくて、「矛盾」の強さの度合のことを指す。力のヴェクトルが衝突したり、体が引き裂かれそうになって震えたり、意味がねじれ返ったり、渦が加速して破裂寸前になったりするようなことが、『コーヒー』や『ノート』の中心にはあったのだけれども、この作品では平然とユニゾンが行われていたり、構成の原理は限りなくモダンダンスに近い。10年もやり続けるのは大変だが、見ている方だって10周年なわけで(ぼくはせいぜい8周年くらいだが)、すると過去の価値基準で計ろうとしてしまう自分に抵抗しなくてはいけなかったりして、なかなか難しいのではある。特に『さよなら』をきっかけに、個人的には矢内原美邦のソロダンスに途轍もない執着が芽生えてしまったのだけれども、今回は一人一人が矢内原のソロのようなダンスを踊っていて、その代わり、ダンサー同士の関わり方にはこれといったアイディアがないように思えた。つまり『コーヒー』や『ノート』(特に『コーヒー』)は、個々の身体を振付けるのではなくて、いわば舞台空間の中に一つの「社会」を作り出すところに主眼があって、そして振り返ってみれば、そんなことをやっている人は他に全然いなかったのではないか、それくらい斬新だったのではないか。そして今は、矢内原がソロで踊るような、きわめて精緻な振付を、複数のダンサーによってコピーしているわけだけれども、そういうことと、「社会」を作り出す(集団を振付ける)こととは、根本的に何の接点もない別のことなのではないかという気がする。いや何らかの接点はあるのかも知れないが、そこはそれで一つの独立した課題であるということを、真剣に考えた人はいまだかつて存在しないのではないかという気さえする。
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ダンスがみたい!新人シリーズ6(Iグループ)

2008-01-17 | ダンスとか
神楽坂die pratze。
▼青山るりこ 『一分前まで○○だった(仮)』
▼三枝はな 『冬の空のにおい』
▼Essential SDC 『ミス・ジョディ』
Essential SDC は大阪出身の女性三人組。はじめは、いわゆる現代舞踊的なものの枠内でコンサバな笑いを狙ってる、よくある感じかなあと思っていたのだけれども、旅行カバンを持ったアナクロな格好の(いかにも「コンテンポラリーダンス」風な)旅人が出てきて、それがなぜか「ガイジン」風のイントネーションで「スミマセン、コノアタリニ、オイシイこーひーガノメルかふぇハアリマセンカ?」と連発し始めた時、明らかに異質な空気を感じた。かなり立派な体格の一人が、切実そうな表情で遠くを見やりながらピルエットをしているのに、足元が本気でガクガク揺れていたり、それでいてあからさまに奇抜なことはせず淡々と凡庸な「コンテンポラリーダンス」風に場面が展開していき、気づくといつの間にかまたおかしな雰囲気になっていたりする。ラストは暗転の後、いきなり、屈んだ二人の上に一人が立ってドーンと現われ、そのままヨロヨロと移動して終わる。アピールや説明をギリギリまで削ぎながら微妙なラインばかり攻め続け、どこまで本気なのか冗談なのか全然わからないところが凄い。邪な熱意を感じる。三枝はなは、中盤、鼻歌でリンゴをむき始め、客席に配る。賄賂のせいで、もう単なるダンサーと観客の関係ではなくなってしまったはずなのに、あとはまた普通に踊ってみせるだけで、逆にわけがわからなかった。むしろ冒頭、崩れ落ちては起き上がる動きを均質で切れ目のないS字カーヴのようにして持続させる部分、そしてそれが徐々に崩れる/静止/伸び上がる/静止と分節化されていく過程も繊細に踊られていて、凄かった。青山るりこは、とにかく光の量が少なすぎて、ほとんど何もシェアできなかった。微量なものの、その微量さを見たいと努力してみたものの、本当に微量すぎた。「隠す」素振りを「見せる」つもりが本当に「隠し」てしまった、という感じじゃないかと思う。
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アピチャッポン・ウィーラセタクン 「Replicas」

2008-01-15 | ダンスとか
谷中・SCAI THE BATHHOUSE。
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ダンスがみたい!新人シリーズ6(Cグループ)

2008-01-08 | ダンスとか
神楽坂die pratze。
▼大越歩 『あら・ぬ』
▼丹羽洋子
▼1+1 『キオク‐ノ‐ハヤシ』
大越歩は少し前まで大駱駝艦にいた人。ゼッケンの背中側に丸い穴が空いていて、脳天の辺りに赤い丸をかぶっている。その赤い丸を正面向きにして動かされると目玉のようでもある。何かなあと見ていたら、これは通常「背負われる」ところの日の丸が抜けて頭頂部に移動しているわけか、と思えてきた。そのこと自体は何だか面白い(気がする)。しかしこういう、アレゴリーみたいな意味の構成体がそれとして咀嚼されるためには一定の時間の経過が必要なので、だからその間動いているというようなやり方のパフォーマンスはわりと一般的だと思うけれども、何か不満を覚えもする。ただ時間が経っているだけじゃないかと、そしてそれは観客が何らかの出来事を予期して待っているがゆえに時間が引き延ばされているに過ぎないのではないのかと。結果的に何も起きなくても、何も起きなかったなあと思う頃には、時間の経過の中で「解体された日の丸」のようなことの意味を妙に噛み締めてしまっているから、確かに何かを見たという気になるのだが…。実際あまり動かない。体の向きを変えたり、目をギョロつかせたり、というのがあるが、むしろ動きに注意を集めないように、かといって静止が強調されはしない程度に若干の動きを見せている、そんな具合に見えた。すると引き伸ばされた「期待」と、後からする「回想」、その間に何もない気がしてしまう。丹羽洋子は直立で肘から分離した動きなどをミニマルに反復していくトリシャ・ブラウンのAccumulations的な部分に、ある種の気迫を感じて身構えたのだが、その後はわりと様々に展開してしまって、逆に安心してしまった。激しく局限していった結果として見えてくるような小さくても新しい広がりを期待したのだが、社会やスタジオの中で得られる情報としての「ダンス」の広がりの中に入っていってしまって、こんなところで勉強なんかされても…という気になった。1+1(河下亜紀、富岡史)は女性デュオで連動した転倒が始まり、こういうのもついオオッと身を乗り出しかけてしまうのだが、やはり全体にテクニカルで、事件には至らなかった。
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「SPACE FOR YOUR FUTURE ―アートとデザインの遺伝子を組み替える」展

2008-01-08 | ダンスとか
木場・東京都現代美術館。
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ダンスがみたい!新人シリーズ6(Bグループ)

2008-01-06 | ダンスとか
神楽坂die pratze。
▼米倉和恵 『TEAR ~子宮のラビリンス~』
▼斎藤麻里子 『パラダイス』
▼磯島未来 『Matilda』
磯島未来のこれは9月に見た時とは相当変わっていて、丸く収まってしまっていたものをだいぶ壊した感じ。執拗に危険な転倒を繰り返す、ヴァイオレンス。しかし、本気で危ない姿勢から危ない倒れ方をするのを見て、普通に不安にさせられてしまっても、そこに生まれるスリルは至極当たり前のことでしかないのだ。斎藤麻里子を見るのはこれで三本目。最初に見た時に何かが引っかかって、いまだによくわからない。でもたぶんこのモヤモヤは斎藤麻里子の中にもあり、行き場のない体でもがいているから、何かそこが気になるのだろうと思う。床にばら撒かれた折鶴に後ずさりで接近してミシッと踏みしめた瞬間、猛烈に足に来た。そしてそこから上体をU字型に曲げて脳天を床に近づけていったところは、はっきりとツボだったといえる。足裏と頭頂部がN極とS極になってしまったみたいな、不思議なような、バカバカしいような、稀な時間だった。米倉和恵はあからさまにクローズドかつマイペースなパフォーマンスで、劇的な展開にもかかわらず最後までぜんぜん呼吸を合わせられなかった。
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ダンスがみたい!新人シリーズ6(Aグループ)

2008-01-05 | ダンスとか
神楽坂die pratze。
▼yeux manie-ne(ma) 『endleofan minutes over aphorism』
▼川上暁子 『苛性ソーダ』
▼坂本典弘 『spot』
坂本典弘は音楽や会話などバラバラな音素材のつなぎが巧妙。ちょうど安心して先を追い始めた頃にブツンと切れて他のに飛ぶ。「あっ」と一瞬頭が真っ白になる。レールに乗せておいて外す、ということをやっているなと思ってみると、でも体はそれほど「乗せ」も「外し」もしてくれない。後半のとりとめない踊りが実は長大な「乗せ」であったことが、終わり間際、客席からの女子の唐突な乱入によって明らかになるのだが、そもそも「乗せ」られてなかったので、驚けなかった。川上暁子はスポットの下でのた打ち回る感じの動きがずっと続く。スポットが三段階に広がった後、徐々に小さくなって行くのだが、体の使い方そのものはあまり伸縮していなくて、だから空間が広がるにつれ単に移動距離が伸びたり、狭まるにつれて単に移動距離が縮んだりする。もう少し色々あるはずじゃないのかと思いながら見ていた。yeux manie-ne(ma)は漠然としたイメージを手近な道具で無理に形にした感じ。
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