dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

『家電のように解り合えない』

2011-09-24 | ダンスとか
東池袋・あうるすぽっと。
作・演出/岡田利規、出演/森山開次、安藤真理、青柳いづみ、美術/金氏徹平
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山下残 『庭みたいなもの』

2011-09-24 | ダンスとか
日本大通り・神奈川芸術劇場(大スタジオ)。
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フォルクスビューネ、ベルリン 『無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部』

2011-09-23 | ダンスとか
フェスティバル/トーキョー

Berliner Volksbuehne, Cinecitta' aperta

豊洲公園西側横 野外特設会場。
作・演出/ルネ・ポレシュ、舞台美術/ベルト・ノイマン
Text and direction by Rene Pollesch, Set design by Bert Neumann
聞くところによるとドイツでは爆笑ものの作品らしいけど、字幕ではどう頑張っても無理があったんじゃないかと思うし、客席もなぜかフラットで、広大な空間を走り回る役者たちが何をやっているのかあまりよく見えなかった。だからかなり部分的にしか作品を味わえていないと思うけれども、その限りでいえば、50~60年代のイタリア映画とか、マルクス主義とかフーコーとか、そういう「大人の教養」をここから引き算し、空いた所を「日常」とかアニメとかその他ファストなもので埋めると、いま日本で若い人たちがやってるようなジャンクな演劇になるんだろうなと思った。その違いは、世代間のコミュニケーションがどれくらいあり、歴史に対する畏敬がどれくらい共有されているか、という問題として要約できる気がする。ユダヤ博物館のある国と、広島の空をピカッとさせている国の違い、と言い換えてもいいかもしれない。開演前の夕暮れ時の街の景色が息を呑むほど美しかった。
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Multilingual Performance Theater 空(utsubo) 『Headline News』

2011-09-23 | ダンスとか
新宿・シアター・ミラクル、昼。
色んな言語と色んなナショナリティないしエスニシティの人たちが出てきて、入れ替わり立ち替わりプライヴェートなことをしゃべる。何か今回は、本当にそれだけという状態に限りなく近くなっていて、ちょっと取りつく島がなかった(話者と主語がどうも一致していないっぽい、などといった仕掛けは若干あるのではあるが)。前回よりもさらにシンプルになってしまっていて、これであれば劇場でやるよりむしろ街頭とかでやった方が実質的なインパクトがあるんじゃないかと思った。というかそんな劇場(の形式)に閉じ込めなくても良いのでは、とも思った。
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Dance Theatre LUDENS 『1 hour before Sunset』

2011-09-18 | ダンスとか
日本大通り・象の鼻テラス。
岩淵と四人の若いダンサー(増田明日未、三橋俊平、森川弘和、渡邊絵理)がとにかく大きく動きまくる。こんなに動き通し動く作品ってあまり見たことがない気がする。誰かのキューで動き出し、ゲームみたいになったり、また揃ったりする、振付と即興の境目が判然としない構成は、2009年8月にd-倉庫で見た『Creation 2009』を思い出した。でも『2009』ほどの衝撃を受けなかったのは、ルールや動きのパターンがわりと限られているため、「振付と即興の境目」にこちらの意識が引き付けられなかったからだと思う。小道具も(ほとんど)使われていないし、走ったり飛んだりとアスレティックに大きく動き、スニーカーでキュキュッと停まったり方向転換したりするダンサーたちのダイナミックさがひたすら前面に出ていて、印象としてもやや単調に感じられてしまう。加藤訓子のマリンバ演奏が付いているのだが、大部分を占めるライヒの音楽(『Six Marimbas Counterpoint』など)はどちらかといえば高揚感を作り出すために用いられているようで、ローザスのような「絵解き」にはなっていない。とはいえ、オフバランスから走り出すとか、腕を水平に伸ばす動きで体の向きを変えるとか、停まったその場で片足ジャンプとか、フロアに線を引くとか、色々出てくるので、じつはローザスへのオマージュなのかも知れない。森川弘和はものすごい野性的な「身体」をもったダンサーだと思った。反応が速くてレンジも広く、目でとらえ切れないような激しい動きもあくまでしなやかだ。
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KENTARO!! 『雨が降ると晴れる』

2011-09-18 | ダンスとか
神楽坂・セッションハウス、昼。
すごい良い踊りだったと思うけど、ひたすらアガッていきたい気分をかき立てられながら、「劇場」仕様によって抑圧される、マゾヒズムというか端的にいって理不尽な欲求不満が募った。モダンダンスの歴史をたどると、初期のフォーマットは「リサイタル」型だったのが、だんだん「シアター」型に移行してくる、っていう経緯がある。単に「踊りを見せる」(スターや名人が人前で踊ってみせる)形から、何らか内容のある「作品を上演する」(作者の作品世界を共有する)形へ、とでもいえばいいのか。ストリートダンスはどちらかというとリサイタル型で、KENTARO!!はそこからの離脱を試みているように見える。しかしリサイタル型からシアター型へ、という展開が必ずしも唯一の選択肢であるわけではないだろう。シアター型に持っていくことが唯一の解答ではないだろう。なのになぜKENTARO!!はあくまでもこの二つの極の間で自分なりの折り合いの付け方を見つけようとしているのだろうか。もっと自由であることもできるはずなのに、あえて「コンテンポラリーダンス」なるもののパターンに落とし込むのはなぜなのだろうか。
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宮澤賢治/夢の島から

2011-09-17 | ダンスとか
フェスティバル/トーキョー

新木場・都立夢の島公園(多目的コロシアム)。
夜の公園に人が集まって非日常を経験している段階で60~70%くらいは満ち足りてしまっている。だから何を見てもインパクトがあり、騙されているんじゃないかというような気分になる。というか、それが「祝祭性」というものなのだろう。
▼ロメオ・カステルッチ 『わたくしという現象』
Romeo Castelucci, The Phenomenon Called I
ポンと即物的に「もの」を出すだけで劇的に見せてしまう、カステルッチの技は、ほとんど配置や色彩やタイミングなどといった造形感覚を頼みにした綱渡り的かつマジカルなものに違いない。それが、ものものしくすればするほどシラけた感じになってしまった今回は、思うに、入場時にグロテスクな行進を演じさせられてしまったり、イベント感が高まり過ぎてしまったわれわれ観客の気分が増長していた面もあった気がする。強気になってシラけると、馬鹿にしたくなるもので、いとも簡単に気が大きくなった祝祭的群衆の一部に自分がなっている、ということの怖さの方が自分の中では強かった。普通の劇場でも観客は群衆になるポテンシャルをはらんでいるが、制度によってほど良く押さえ込まれている。シラけるか、シラけないのか――劇場空間の力学が、いわば観客と、制度側に立つ芸術家の画力との間の暴力的な拮抗になりがちなのが、これまでに見たカステルッチの作品かも知れない。とりわけ「ヨーロッパ」という紋章の迫力で劇場空間を統制する、神秘化の力が、今回のような祝祭的群集の前では全然通じなかった、という風に思った。
▼飴屋法水 『じ め ん』
異質なテクストのモンタージュで、過去~現在~未来の関係がねじれ、見たことのない角度から時間を見た。演劇なのに、フィクションの要素がほとんどない、と感じられる。フィクションは、「作り事」というより単なる「可能性」として、つまり現実とあくまで地続きなものとしてのみ提示されるからだ。そのようにして「想像してみる」という行為に、集団で参加することに大きな意味を感じた。ソーシャルメディアが作り出すようなバラバラの個人でもなく、目的に応じて集まったデモのような一枚岩の群衆でもない状態。前半のカステルッチまでで出来上がった祝祭的な群衆に、知性と言論の力を与える手続き、とでもいえばいいのか。綺麗に繰り返される飴屋法水の前転が「アート」っぽかったのも、この際大した問題ではないと思えた。
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まことクラヴ 『東京立体図鑑』

2011-09-17 | ダンスとか
両国・江戸東京博物館。
本編開演前に常設展示をたっぷり見る時間が設けられていて、予想外に充実した展示を堪能。立地だとか意匠の面では垢抜けないとはいえ内容は決して悪くないのだ。シンガポールで見たアジア文明博物館を重ねながら見た。特別展示されていた、1945年の東京を撮影したカラー映像などは衝撃的で、忘れがたい。江戸時代とそれ以降の東京を隅々まで味わってから、ホールに着席し、舞台が始まる――かと思いきや、藤森照信と遠田誠の対談が映像で映し出され、さらに戦後の東京を知る方たちへのインタヴューなどが展開する。クオリティはともかくとして、正直興奮したのは、そうか今回はずっと街とかとりわけ東京という土地にこだわってきた遠田誠が自由になんでもやってしまうのだ、形式ではなくテーマにこそ忠実な仕方で、と思ったから。しかし結局はいわゆる「ダンスシアター」が始まってしまうのであり、すると、なぜダンスなのかがわからなかった。確かに、ダンスからできるだけ遠くに行ってしまおうとしているように見える。あたかも「初期のコンテンポラリーダンス」の熱を取り戻そうとでもするかの如く――しかしもはやかつてのようにダンスが戯れの対象ではなく、むしろ足枷に感じられてしまうのはどうしてなのだろう。「東京」という一般的な主題に対して、「ダンス」がうまく絡んでいかない。なぜか。
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クリスチャン・リゾ/アソシアシオン・フラジル&江本皓 『T.T.T. トゥルコワン―台北―東京』

2011-09-16 | ダンスとか
Christian Rizzo / l'association fragile & Iuan-Hau Chiang, T.T.T. Tourcoing -Taipei-Tokyo

飯田橋・東京日仏学院。
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エラ・ファトミ/エリック・ラムルー 『ジャスト・トゥ・ダンス…』

2011-09-15 | ダンスとか
Compagnie Fattoumi/Lamoureux, Just to dance...

青山円形劇場。
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エラ・ファトミ/エリック・ラムルー 『マンタ』

2011-09-13 | ダンスとか
Compagnie Fattoumi/Lamoureux, Manta

青山円形劇場。
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劇団どくんご 『A Vital Sign -ただちに犬-』

2011-09-10 | ダンスとか
東京都立舎人公園。
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アキコ・カンダ 「花を咲かせるために ~バルバラを踊る」

2011-09-09 | ダンスとか
青山円形劇場。
▼『幻想のマラゲーニャ』
▼『生命のこだま』
▼『木洩れ日の中で』
▼『花を咲かせるために ~バルバラを踊る~』
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「書と踊り、そして料理と。」

2011-09-03 | ダンスとか
山中湖村・ホトリニテ。
渡辺大壑(書家)、大倉摩矢子(舞踏家)、堀内一紀(料理人)
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